触れる

「ひとつだけ先に言っておきたいことがあって」
 そう切り出したエリジウムがソーンズの隣に腰掛ける。ベッドのスプリングが音を立て、軽く触れた肩に小さく息を飲み込んだ。
 動揺を悟られないように、ソーンズが「なんだ?」と問いかけると、エリジウムは彼にしては珍しく僅かに言葉に迷うような素振りを見せた後「鉱石病のことなんだけど」と言った。何回も繰り返した議題ではあるが、ソーンズはこの議題を無視も軽んじもしないと決めている。すぐに言葉を発しようとしたソーンズは、しかしエリジウムの手に口を塞がれた。
「待って待って。僕も何度も同じ議論はしないし、君の今までの言葉をなかったことにはしたくないよ。ただ、言ってなかったことがあったと思ってさ」
「……なんだ」
 指の隙間から問いかければ「デコレーションのことだよ」とエリジウムは告げた。
 そしてソーンズの口から手を離し、服の裾を持ち上げる。
「これ」
 何の衒いもなく晒された肌に心臓が跳ねた。通信員としてあれこれと機材を持ち運ぶ必要があるので、エリジウムの身体には程よく筋肉が付いている。それは一見健康な男の身体にしか見えない。しかし布一枚剥いでしまえば、体表に浮かぶ異質な部分がどうしたって目についた。
 半透明の黒い鉱石。
 ソーンズはゆっくりと息を吐いた後、視線があちこちに飛んでしまいそうになるのをグッと堪えて「体表面の鉱石は、触れても鉱石病に感染しない」と告げた。
「知ってるよ」とエリジウムは応えた。
「その心配じゃなくてさ」
「何の心配だ?」
「これ、鉱石だから硬いんだよ」
 エリジウムは黒い鉱石を指先で突いてみせた。
「うっかり触ったら、それだけで皮膚が切れちゃうくらいにはね」
 ソーンズは虚を突かれた。そんなことは考えたこともなかったからだ。エリジウムはさらに続けた。
「体表にできたばかりの頃に、うっかり触って指を切ったことがあるんだよ。だから、ほら、その……」
 エリジウムがひとつ咳を落とす。
「この後、君がうっかり触って怪我したら困るからさ」
 そう告げた声は、いつもの軽快さを欠いている。
 ソーンズはパチリと瞬きをした。
 そして僅かに考えた後「触っても良いか?」と手を伸ばす。
「鉱石に?」
「ああ」
「良いけど、さっき言ったこと気をつけてね」
「分かっている」
 指先で、半透明の黒い鉱石に触れる。確かにエリジウムの言う通り固く、自然と割れたような縁は細かく波打っており、考えなしに触れれば手を傷つけるだろう。
「感覚はあるのか?」
「身体に埋まってるからね。鉱石自体にはないけど、触られると周辺の皮膚が突っ張るような感覚はあるよ」
「例えばうっかり強く押したとして、お前の内臓か周辺の肉や皮膚に傷がつくことは?」
「可能性あるかな。感染生物との交戦で倒れた時にうっかりそこを下にして、内側に響いた感覚があったから」
「そうか」
 ソーンズはエリジウムの鉱石から手を離した。
「それなら気をつける」
「それならって」
 服を整えたエリジウムが呆れた顔をした。
「君に怪我して欲しくなくて言ったんだけど」
「知っている。その点でも気を付けるが、ただ、俺にはそちらの方が重要だっただけだ」
 嘘である。
 本当は「切り傷くらいならすぐに治るのは知ってるだろう」という言葉がソーンズの口から出かかった。
 エリジウムに触ることができない方が嫌だと。
 けれどそれはソーンズのエゴだ。エリジウムが体表に出来た不本意なデコレーションのせいでソーンズが傷付くことを恐れ、無意識にか意識的にか引いた線の内に、無理矢理踏み込む言葉でもあった。我を通し彼を傷つけるほど暴力的になることをソーンズは良しとしない。それをしたとして、エリジウムがどんな顔をするか、想像は出来なかったが、見たいとも思わない。
「他に何か言いたいことはあるか?」
 ソーンズの言葉に、少しだけ眉根を寄せたエリジウムが首を横に振った。
「ないよ」
「触れても?」
 返事の代わりに、ひとつ、エリジウムから軽い口付けが落とされた。それに応えながら服の裾から手を滑り込ませれば僅かに硬い感触があり、その感触に鉱石病への苛立ちを覚えながらも、ソーンズはそれを避けて強くエリジウムの身体をかき抱いた。
 至近距離で見つめたリーベリは笑っている。その楽しそうな顔に恋をしたのだと、ソーンズはもうとっくの昔に気付いていた。









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