プライド




 バッキーと暮らし始めたのは、盾を次世代に託した後のことだった。
 気が付けば北極海の氷から目覚めた後のスティーブと同じだけの時間を盾と共に、キャプテン・アメリカとして過ごしていた。超人血清を打たなかった身で、良くあれだけの時間を、変わり行く時代を、キャプテン・アメリカとして過ごせたものだと我ながら不思議に思う。俺がキャプテン・アメリカであることを支持してくれた者たちはたくさん居たが、同じだけ憎まれた。盾を置け、相応しい者は別にいると囁かれ続けた。しかしそうした者の声に頷く訳にはいかなった。それを覚悟して、血濡れの盾を手に取ったのだから。
「何故盾を手放した」
 己が盾を手にした時の事を思い出す度に、そう告げたバッキーのブルーグレーの瞳が蘇る。サム・キャップを憎む誰よりも鋭い視線で俺を射抜き、俺の軽口にも誤魔化されず、任務にまで付いて来た目付きの悪い男の瞳。
 その瞳が全く違う意味を持ってこちらを見るようになったのがいつだったか、正確なことは覚えていない。
「サム」
 ただ気が付けば、目付きが悪かった男はよく笑うようになっていた。メールを無視されていたのが嘘のように連絡を取り合うようになった。同居は断っていたが、何かあった時の為にと緊急連絡先とお互いの部屋の合鍵を預け合った。バッキーが議員を目指す頃には少しだけ距離を置いたが、時間が合えば会いに行った。時間がなくとも必要だと思えばお互いにお互いの元へ駆けつけた。バッキーがニューアベンジャーズとして活動していた時でさえ、何も書き込むことは出来ないと分かっていても、共有していたスケジュールアプリを消すことは出来なかった。
 恋人同士だったの? と、バッキーと『アベンジャーズ』を巡って対立していた時、ホアキンから聞かれたことがある。それには苦笑を返した。その理由をホアキンがどう捉えたのかは、あえて聞かなかった。バッキーがニューアベンジャーズとして活動し始める前までは、他者から見た自分達の関係がそう呼ばれるものとは分かっていた。ただ俺とバッキーにとって、どこからを『恋人』と線引きするかは決めていなかった。恋愛はするもしないも個人の自由でしかなく、どういった関係を恋愛と呼ぶのかも個々によって様々だ。関係性が二人の間にひとつだけと決まっているわけではないが、名付けなければいけないというわけでもない。他の誰かに理解される名前を付けなければならないわけでもない。
 恋人と呼ばれる関係でも、対立しているとニュースで騒ぎ立てられても、俺たちはただの二人であった。
 そして、今も。
「サム」
 バッキーが空を指差した。そこには青空を背にした人影がある。その背にたなびくのはマントではない。先程、ケイトと一緒に俺たちを見つけたエレーナが、俺とバッキーの頬に貼っていったシールと同じ、プログレス・プライド・フラッグだ。
 パレードは晴天の下で、つつがなく行われている。
 大勢の人たちが声を上げ、歌い、踊り、旗を振る。車椅子を七色に飾りつけ、ルーツを示す国旗を持ち、今まさにミサイルが打ち込まれようとしている国との連携を示す。時には、悪魔め! と叫びパレードを妨害しようとする相手に中指を立て、地獄に堕ちろと書かれたプラカードの下でキスをして、その様子をSNSに投稿する。もちろんパレードの動画や写真をSNSに載せる時は、写っている者へ許可を取るのは忘れない。
「写真を撮って貰って良いですか?」
 トランスジェンダー・フラッグを羽織った、まだ十代だろう相手に問いかけられて頷いた。
「彼が映るようにして下さい」
 空を指差してそう言われたので、しゃがんで二人が映るように携帯端末を構えてみせる。他の参加者たちは、そっと自分たちを避けて道を進む。
「ありがとうございます」
 歩きながらこれで良いかと画面を見せれば、パッと花咲くように笑われた。そして、もし良ければ写真を撮りますよ。と言われ、思わず隣にいたバッキーに目を向ける。
 ブルーグレーの瞳と当たり前のように視線が交わったので、じゃあこいつも。と指差して、二人で並ぶ。その際、バッキーの手を取った。
 写真には驚いたように俺を見るバッキーと、その顔に笑った俺が写っていた。
「これも棚に飾ろう」
 スマートフォンを受け取って礼を言い、写真を見ながら俺が言えば、バッキーは眉間に皺を寄せて口を開いた。
「記事になるぞ。良いのか」
 いつかのような目付きの悪さに、俺はますますおかしくなってバッキーに言った。
「ゴーグルをしてなきゃ分からないさ」
 そんなはずはないと分かっていた。けれど願うようにそう言った。盾を持つ覚悟をした後も、キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャーではなくサム・ウィルソンとバッキー・バーンズであったように、ただの二人としてこのパレードを歩いているのだと言うように。
 バッキーはその答えに、無理だろ。と短く返した。実際その通りだった。数十分後にはネットニュースになり、友人達からは揶揄を含んだメッセージが飛び込み、パレードに参加していた子供に見つかって「キャプテン・アメリカだ!」と叫ばれた。ついでにホアキンからは無許可の写真掲載はパレードのルールに反する。という怒りと、こちらを心配するメッセージも飛び込んだ。
 それにはすぐに、心配するなと返してやる。羽目を外して後に続く者達の足を引っ張る気はないが、盾を持った時に受け入れたのと同じだけの重責を、盾を次世代に手渡した今も背負うつもりもない。けれど先達として、今自分がここにいる影響が後に続く者のための道を開くなら、記事になるくらいはどうということもなかった。
「バッキー」
 キャプテン・アメリカのファンを説得し、己の周りから離れて貰った後、もう一度バッキーに手を伸ばした。今度は恐る恐るといったように俺の手を掴んだ男に笑ってしまう。
 けれどそのことを揶揄うのはやめて、もう盾は手放したのにな。と言えば、バッキーは当たり前だと言うように笑った。
「お前にとってスティーブは今もキャプテン・アメリカだろう」
 その通りだった。
 スティーブだけではない、イザイア・ブラッドリーも、ジョン・ウォーカーも、誰かにとっては今もキャプテン・アメリカなのだ。
 時々、スミソニアン博物館で彼らの名前の隣に自分の名が刻まれていることが恐ろしくなる。けれどそんな時、やはり思い出すのは隣にあるブルーグレーの瞳であった。
「どうした?」
 見上げれば首を傾げられる。それになんでもないと返し、前を見た。
 己に盾を持つように言った男。この男がいなければ、己は今とは全く違った気持ちでスティーブから受け取った盾を、テレビ越しに見つめていただろう。
 わっ。と歓声が上がった。見れば、己が盾を託した『キャプテン・アメリカ』が、出店のあるあたりで大きく旗を振っていた。
「行こうか」と言えば、バッキーは小さく笑って頷いた。相変わらず手は繋がれたまま、パレードと共に街を歩いていった。