ハッピー



 エレーナがアベンジャーズタワーに戻って来たのは、日付が変わる直前だった。夜型のメンバーもいるとはいえ、プライベートでは個人行動が多いニューアベンジャーズだ。共用スペースは無人だろうとふんでいたが、生体認証でドアを開ければ人の気配がある。そっと明かりの付いた部屋を覗き込めば「エレーナか」と声がかかった。
 部屋にいたのはバッキーだ。いつものようにジッと携帯端末を覗き込んでいる。
「いくら超人でも、そんなに画面ばかり見てたら目を悪くするんじゃない?」
 声をかけられて、わざわざ出ていくのも気まずいものだ。エレーナはしばらく共用スペースで過ごすことにした。この状態のバッキーは他人を気にしないので、気楽に好きなことが出来るという利点もある。
 エレーナはモニターの電源を付けた。今日のニュースを検索すると、その中で最も色鮮やかなサムネイルの動画を選択する。途端に部屋が極彩色で包まれた。
「今日のパレードか」
 バッキーの言葉に、エレーナは頷いた。プライベート端末を手にしたバッキーが、他のことに意識を割くのは珍しい。そう思ったが、続いた言葉でなぜバッキーがこのニュースを見ようと思ったのかが分かってしまう。
「サムがいる」
 エレーナは思わず大きな画面から、キャプテン・アメリカの姿を探してしまった。しかし写っているのはレインボーフラッグをはじめとした色鮮やかなフラッグと、パレードの主役である市民ばかり。
 どこにヒーローの姿があるのだろうかと首を傾げれば、バッキーはエレーナに断りなくニュースを少しだけ早戻しして、画面の右上を指差した。
「空だ」
 停止された画面を見れば、確かに翼を背にした人影が写っている。ニュース用の解像度が低い動画の中で小さくぼやけているとはいえ、ブラック・ウィドウとして訓練を受けていた身としては致命的な見落としだった。見つけられなかったことが少しだけ悔しく「ファルコンじゃないの?」と再生ボタンを押しながら言えば、バッキーは分かってないな。と言うように首を振った。
「背丈が違う。翼の色も違う。何より飛び方がまるで違う。二代目ファルコンは飛び方が直線的でスマートに見えるが、サムはそうじゃない」
 口元に小さく笑みを乗せたバッキーは、画面外へ消えていく影を目で追った。
「こうした警備の際は、サムは気になったことがあればどんな小さなことでも確認する。高度を下げて、無茶な体勢変換もする。レッドウィングも使うから二機への指示の為に首が動く」
 一瞬だけ画面の左端を横切った影を見て、あれがファルコンだな。と興味もなさそうにバッキーは付け加えた。
「今の姿と比べればわかるが、サムの飛び方は不恰好にも見える。見ていて危なく思える時も。でも、それは理由があってのことだ」
「市民を監視するため?」
「守るためだ」
 間髪置かずにバッキーは言った。
「きっとそれしか頭にない」
 そうだろうか。とエレーナは思った。ニューアベンジャーズが市民から好き勝手に評価されているように、当代のキャプテン・アメリカもまた、市民から好き勝手に評価されている。そんなヒーローがプライドパレードの警備に加わることで、好悪様々な言葉をぶつけられるのは目に見えていた。
 しかしエレーナは疑問を口にしなかった。
 見知った姿が画面に映ったからだ。
「なんだ。パレードに参加してたのか」
 少しだけ驚いたように、バッキーが言った。そこにはケイトと並んでパレードを歩く己が写っていた。画面の中のエレーナは、髪を染め眉を塗り、サングラスをかけ、化粧も普段とは全く異なるものを使っている。服装も肩幅や腰回りが分かりづらいもので、さらにカメラの位置を把握して、顔が映らないように歩いていた。しかしバッキーにはすぐに分かったらしい。
 歩き方を変えていないから当然か。と思いながら、エレーナは答えた。
「友達とね」
 六歳の頃以来の、殺さなくてもいい友達だ。
 少女のエレーナにとって、友達が出来たことの報告は、任務完了の合図だった。あとは友達を人気のない場所におびき寄せて、彼女が大人に殺されるのを見ていればおしまい。長らくエレーナを苦しめた過去であり、それ故にケイトのことを友達と言い表すのには抵抗があった。しかし無意識の抵抗を破って口にしてみれば、すんなりとエレーナの中に「友達」の二文字は収まった。
 ケイトと再会したのは、エレーナがニューアベンジャーズとなってからだった。ニュース見た彼女がエレーナを気にかけ、あの手この手を使って連絡を取ってくれたことがきっかけだった。姉の死を引きずったまま、クリントと近しい彼女のことも避けていたエレーナだが、今ではオフの日にニューヨークを二人で歩き回る仲になっている。次のクリスマスは、一緒に過ごす約束も取り付けていた。
 今回パレードに一緒に参加したのは偶然で、ケイトが行きたがっていた店が、パレード開催地の大通りあったのだ。せっかくだからと現地でフラッグを貰い参加したが、帰宅途中にヴァルに知られたらどうなるか。と不安になった。プライドパレードに参加したこともそうだが、エレーナは大事な友達を、ヴァルに利用されたくはない。
 撮られたのはこのテレビ局のカメラにだけだったはず。と思いながら他のニュース動画も検索していれば、先ほどの映像を見ていたバッキーが不思議そうに言った。
「恋人じゃないのか?」
「違うわよ」
 エレーナは思わず強い口調で否定した。続けて、彼女はヘテロ。と言いかけて、友人であることの証明にケイトのセクシュアリティは必要ないと気付いて口をつぐむ。
「私が嘘吐きみたいじゃない。変な勘繰りはやめて」
「悪かった」
 バッキーは素直に謝った。エレーナは鼻を鳴らして次のニュース動画を再生した。バッキーは携帯端末に視線を戻さず、モニターを見つめている。
 眩しいものを見るように。
 エレーナは、バッキーが手を繋いで一緒に街を歩きたいと思っている人がいるのを知っている。
 その人がバッキーを悩ませていることも知っている。
 なにせ自覚がなかったバッキーに、恋を自覚させたのはエレーナだ。なんでもない雑談のはずだった。「ただの二人だ」とサムとの関係を言い表したバッキーに、「友達か恋人みたいにキャプテン・アメリカのことを話すのに?」と言ってしまったのだ。
 それを聞いて「恋人?」とバッキーは目を見開いた。
「サムは男だぞ」とバッキーは言った。
「なんの問題があるの?」とエレーナは首を傾げた。
 その問いを聞いたバッキーは、顔を青くしたり赤くしたりした後「問題はないな」と言った。続いて、家族のようなものだとは思っていた。とも告げた。やはりそれに何の問題があるのだろうとエレーナは思った。恋愛感情を抱いて家族になる者もいれば、その逆もあるだろう。ブラック・ウィドウにはレッドルームの指示で顔も知らなかった相手と結婚した者もいる。相手を愛しながら、殺した者もいる。エレーナの姉であるナターシャも家族を二つ持っていて、彼らとの間に敵だの三点着地愛好家だの、家族以外の関係性が追加されていた時期も長かった。
 お互いに意思のある人間なのだ。レッドルームのような洗脳もなければ、互いに嫌悪を抱いて同じ場所で寄り添うことも、相手を恋しがりながら別の場所で歩き続けることもあるだろう。
 エレーナとナターシャがそうだったように。
 一つため息を吐いたエレーナの視線の先で、親子三人の姿がモニターに映し出された。四歳くらいの子供と、子供と手を繋いでいる二人の女性だった。女性の一人は補聴器落下防止ストラップに小さなレズビアンフラッグのアクセサリーを付けており、もう一人はヒジャブを身に付けている。
 カメラに向かって旗を振る三人の姿を最後にニュースは終わり、エレーナはそのままモニターの電源を消した。
「そろそろ寝るから、ここの電気消しておいて」
「分かった」
「あとこれあげる」
 エレーナはバッキーの横を通り過ぎる際、彼のスーツの赤い星の上に、パレードでもらったシールを貼った。
「じゃあ、おやすみ」
 バッキーはエレーナの言葉に、ただ手を上げた。
 廊下に出れば、人感センサーがパッと行き先を照らし始める。無機質な光だが、暗闇を歩くよりずっと良い。
 あの日。
 もう一つの家族のところへ行くナターシャに、無理矢理付いて行ったらどうなっていただろうかと、今でも時折考える。そうすれば子供の頃のように、手を繋いで一緒に街を歩く時間をナターシャと持てたかもしれない。
 けれど一方で、そうなってしまえばケイトや、今ここにいるバッキー達ニューアベンジャーズには出会えなかったかもしれないとも思う。
 誰にも言ったことはないが、エレーナはニューアベンジャーズのことを家族のように思い始めている。彼ら彼女らといると、ナターシャもこんな気持ちだったのだろうかと考えてしまう。厄介で、鬱陶しく、でも一緒にいると落ち着く者達。
 友人であるケイトとは違い、手を繋いで街を一緒に歩きたいとは思わないし、大事だと認めたくもない。けれど、失いたくないと思っている相手。
 きっとバッキーも、エレーナ達のことをそう思っているのだろう。同病相憐れむ気持ちかもしれないが。どちらにせよ、本当のことをキャプテン・アメリカに告げて、エレーナ達をラフト刑務所にでも放り込めば二人の対立は終わるのに、恋した相手と対立してまでニューアベンジャーズの活動を続けているのだから面倒見が良い。
 なにせニューアベンジャーズはマッチポンプを疑われている。
 ヴァルが己の命を守るために打った芝居は不完全で、お粗末なものだった。エレーナ達の過去を完全には消せず、そんな脛に傷を持つ者達が、弾劾裁判にかけられていたヴァルと繋がっていたのだ。怪しまれても仕方がない。
 ボブとセントリー、あるいはヴォイドはかろうじて別人として認識されているが、ヴァルの人体実験と何らかの繋がりがあるのではと勘繰られている。バッキーは議員時代からヴァルと手を組んで、彼女が罪に問われないよう働きかけていたのではと噂されている。
 そしてこれらの疑惑は絡み合い、尾鰭がついて、今では『人体実験により誕生したヴォイドを利用し子飼いの兵士達からニューアベンジャーズを誕生させることで、世界を救ったアベンジャーズという名前の威光と、アメリカ政府重鎮の座を、もっと言うなら大統領の座を射止めようという計画』が、ヴァルによってなされたのではないか。とまで言われていた。
 あまりにも出来過ぎた話だ。しかし実際にニューヨークは危険に晒され、ニューアベンジャーズは誕生し、ヴァルは弾劾裁判を免れ、バッキーは議員を辞めた。
 バッキーとしてはヴァルのことを見張りつつ、ニューアベンジャーズのメンバーがヴァルのついでにラフト刑務所に放り込まれないよう取り計らってニューアベンジャーズからは離脱するつもりだったらしい。しかし独断専行でことを進めた結果、ニューヨークの人々を危険に晒してキャプテン・アメリカの逆鱗に触れ、更にうかつな反論をしてしまったという。
 何を言ったのか、エレーナは知らない。しかしニュースで見る限り、どんな相手でも話を聞こうとするキャプテン・アメリカが、バッキーに対しては聞く耳を持たないのだ。ろくなことを言わなかったのだろう。任務でどうでも良い相手を口説くときは薄っぺらい美辞麗句を並べ立てる癖に、うまくはいかないものだ。
 けれどナターシャとの過去を思えば、エレーナは人のことを言えやしない。
 バッキーにあげたものと同じ、旗の形をしたシールをぼんやりと見る。光を受けて輝くそれは、パレードの参加者から貰ったものだ。髭を生やした彼は、手を繋ぐエレーナとケイトを見て「家族? それとも恋人か友達?」と聞いた。エレーナとケイトは揃って「友達」と言った。それを聞いて、素敵だ。と微笑んだ彼の右手は、ノンバイナリーフラッグのTシャツを着た人と繋がれていた。きっと彼はエレーナと手を繋いでいたのが家族であるナターシャであったとしても、同じことを言っただろう。
 いつかバッキーも彼らのように、あるいはエレーナとケイトのように、キャプテン・アメリカと手を繋いで街を歩く日が来れば良いと思う。誰だって、どんな関係だって、好きな時に好きな相手と手を繋いで街を歩いても良いのだから。
 エレーナは自室のベッドにダイブしながら、いつかキャプテン・アメリカと会う日が来たら、忠告だけはしてあげようと思った。それはバッキーのためであり、彼を、あるいはニューアベンジャーズのメンバーを、家族のように感じ始めているエレーナ自身のためのエゴイズムでもあった。
 なぜならナターシャという大事な人を失った不幸は、エレーナだけのもので良かったからだ。