目は口ほどに
「記事になってるよ」
ホアキン・トレスがそう言うと、サム・ウィルソンは何の話だ。と眉を寄せた。珍しく現場に出る予定も急ぎの提出書類もなく、しかし雑務は山と溜まっていた時のことだ。サムの問いに、ホアキンは個人端末の画面を彼に向けた。作業効率を下げない為に設定している休憩時間だが、ホアキンが個人端末でチェックしたニュース記事の話を始めるのはいつものことだ。
サムが覗き込んだ画面にはバッキー・バーンズの姿が映っている。
「サムの彼氏」
「パートナーだ」
サムは言った。その左手の薬指には、シンプルなデザインの結婚指輪が存在している。画面の中のバッキーが付けているものと同じ指輪だ。
「ようやく結婚できたんだ。あの苦労をなしにするようなことを言うのはやめろ」
サムがひとつため息を吐いたので、ホアキンは素直にごめんと謝った。
元ウィンター・ソルジャーであり現下院議員であるバッキーと、キャプテン・アメリカであるサムの結婚は困難が多かった。二人ともアベンジャーズに所属しており、バッキーはサンダーボルツとしての活動もある。世界の危機に様々な場所の様々な人々と立ち向かっており、単純な忙しさと背負うものの多さだけでも結婚を躊躇うには十分で、さらにアメリカ国内だけで見ても、バッキーは無所属ではないし、サムは空軍と協力関係にある。サノスの指パッチンから今日に至るまで、アメリカ国内のパワーバランスは不安定だ。バッキーとサムの結婚は、本人達にその気がなくとも危ういバランスを崩すきっかけになりかねなかった。
故にアベンジャーズの集まりでも、何度かバッキーやサムが他のメンバーに相談しているのをホアキンは見たことがある。とはいえ結婚は誰もが持つ権利なので、一部の者たちからは「したければすればいい」というあっさりとした答えしか返ってこなかった。
最終的に、二人もその結論に達したようだが。
しかし結婚後は大衆からの祝福に比例するように、仕事が増えた。記者対応や根回しし損ねた要人からの呼び出し、ジモやサンダーボルツのメンバーからの三者三様な傍迷惑な祝いに加えて、二人の忙しさに関係なく起こる事件。
ずいぶんと長い間、休みなく動き回ることになった。ホアキンもその忙しさに巻き込まれた一人だが、二人へのご祝儀の気持ちもあり、共に走り回った。二人に降りかかる理不尽に対しての怒りもあった。二人について無い事しか書かれていない記事や、今更『同性を恋愛対象とする黒人』にキャプテン・アメリカとしての資質があるかを問い始めた記事を見たのは一度や二度ではない。またプライベートを探ろうとするゴシップ誌の記者や、下世話な勘繰りでSNSの閲覧数を増やそうとする投稿者もいた。
「それで、バッキーの何が記事になってるって?」
サムの言葉に、ホアキンはハッとして不快な記憶を消した。そして画面をスクロールしながら、ワカンダとの協議に参加するんだって。と告げれば、サムは片眉を上げて、へえ。と言った。
「知らなかったんだ」
「明日から三日ほど国外へ出張だとは聞いていたが、お互い、仕事のことは必要だと思ったこと以外共有しないからな」
逆を言えば、必要と思ったことは守秘義務を破ってでも共有する二人である。
サムが知らなかったということは、そこまで重要な会議でもないのだろう。ホアキンがザッと確認した記事の内容も薄っぺらい。最後にはバッキーの立ち姿を褒め称えている。
「顔が良いから姿勢もよく見えるんだろ」
サムが笑いながら言う。いつごろからか、サムはバッキーへの褒め言葉を躊躇わなくなった。その後には必ず余計な一言がついてくるのだけれど。
「格好付けすぎだな。わざとらしすぎる」
「そう? 政治家なんて外面が重要な職業なんだし、写真映りが良いのは喜ぶべきところだと思うけど」
「しかしな……」
サムが少し躊躇った後、自分の携帯端末を取り出してホアキンに渡した。
「前から思っていたが、違いすぎるだろ」
ホアキンがサムの携帯端末を覗き込めば、バッキーが映った動画が流れていた。
「これサムが撮ったの?」
「甥っ子達に頼まれてな」
甥っ子達ということは、ルイジアナの実家での動画か。とホアキンは思った。何度か雑談をしていた時に話題に上がったことがある。アメリカか、もしくは世界が危機に見舞われていなければ、サムは長期休暇をそこで過ごす。
ホアキンは動画を最初から再生し直した。船着場で一艘の船を眺めるバッキーが映っている。サムとは少し距離があるものの、いざという時に備えた最新技術の詰まったカメラは、バッキーの表情をよく写していた。ぼんやりとしているバッキーに、二人の少年が駆け寄った。「バッキー!」と明るい声で名を呼んで、二人同時にメタルアームに飛び付いてみせる。バッキーはその行為に少しだけ目を丸くしたが、意図を察したのか二人を軽々と宙に持ち上げた。子供達の楽しそうな笑い声が動画の中から響いてくる。
「バック」
ホアキンは息を飲んだ。機械越しの声なんて何度も聞いたことがあるのに、それがサムの声だと一瞬分からなかった。
なにせひどく甘ったるい声だったのだ。
「サム」
呼ばれたバッキーが振り返る。そうしてサムを見つめる瞳に、ホアキンは今度こそ天を仰ぎたくなった。
「あー。うん。全然違うね」
ホアキンはなんとかそれだけを絞り出した。視線のやり場に困ってしまう。動画に写った表情は、サンダーボルツの面々や、記者の前で見せる顔とは全く違う。
しかしホアキンの動揺には気が付かず、サムは「そうだろ?」と頷いた。
「家にいる時はいつもこの緩み切った顔だ。以前の目付き悪男に戻るよりは良いだろうが、流石に詐欺じゃないか?」
いつもなんだ。とホアキンは思ったが、突っ込むのはやめておいた。そしてしばし考えた後、サムに問いかけた。
「これ、SNSに流して良い?」
「この動画を?」
「うん。あ、ちゃんとサムの甥っ子くん達が誰かはわからないようにするし、バッキーの映像しか出さないから」
偶にはアベンジャーズというか、キャプテン・アメリカの発信も必要だよ。とホアキンが言えば、サムは眉間に皺を寄せて考える素振りを見せたが、結局はバッキーの許可が取れたら載せても良い。とホアキンにデータを渡した。サムはキャプテン・アメリカにくっついてくる広報の仕事も大部分は自分でこなしてみせるが、SNS運用だけはホアキンに一任していた。単純にそこまで手が回らないのだ。
ホアキンは動画を手に入れると、早速バッキーに連絡を入れた。幸いにもその日のうちに、サムが反対していないなら構わない。と簡素な返信が来た。自宅に戻ってはいたものの、返信を受け取ったホアキンは早速動画を編集した。出来上がったのは、サムが甥っ子達と遊ぶバッキーを呼び、バッキーがそれに応えてサムに目を向けるところまでの短い動画だ。
この動画を編集したホアキンに、世間への反発心や、二人の結婚への心ない言葉が少しでも減れば良い。という気持ちがなかったわけではない。スティーブ・ロジャースが盾を持っていた頃は言うまでもなく、ジモの脱獄にも関わっていた二人だ。個別でならば話は通じ、核程の脅威はないが、二人揃うと何をしでかすかわからない。というのが二人に関する政府のお歴々からの評価だった。サムとバッキーがアベンジャーズとして共に活躍してはいるものの、世間の目のある場所では一定の距離感を保つのはそのためだ。しかし距離を取ったが故に、アベンジャーズに良くない印象を持つ政治家から、愛のない偽装結婚だと決め付けられたこともある。
そんなわけがない。とホアキンは思いながら、SNSの投稿ボタンを押した。そもそも結婚に恋愛は必要ないが、しかし二人の間には愛がある。
この動画がその証明だった。
サムの甘ったるい声は言うまでもなく、サムを見つめたバッキーの笑みは、あまりにも雄弁だ。
「サム」
うっかりと投稿した動画をタップした為に、動画が流れ出した。ホアキンは苦笑する。目は口ほどに物を言う。とはこの事だ。画面の中には目付きの悪い政治家なんてどこにもいなかった。
見ているこちらが溶けてしまうような愛を、視線に乗せた一人の男しかいなかった。
動画を閉じて、ホアキンはグッと伸びをした。気が付けば就寝時間になっている。慌てて着替えを取り出すと、シャワーを浴びる為に風呂場に駆け込んだ。夜更かしして日中に影響が出るとサムに眉を顰められ、最悪の場合、飛行訓練がなくなってしまう。
シャワーを浴びてベッドに横になったホアキンは、SNSの通知を切っていた為に肝心なことに気が付かなかった。
サムはあのバッキーの表情を、緩み切った顔。と表現した。なにせ常にそばにあれば、どんなものでも慣れてしまう。ホアキンも、あの表情を初めて見たわけではなかった。気の置けない仲間たちの前ではバッキーとサムも警戒心は薄れる。作戦の合間に、あるいは休憩時間に、なんでもないことで笑い合う姿をホアキンは何度か見たことがある。
そしてその、何度か見たことのあるはずのホアキンでも、天を仰ぎたくなるような動画である。
「……ワオ」
翌朝、ホアキンは日課となった携帯端末のチェックをして小さく声を上げた。SNSの通知はもはや機能していなかった。刺激が強すぎたのだと気付いたのはその時だ。<
思った以上の盛り上がりに、ホアキンはこの後の事を思って頭を抱えながら、サムに電話をかけた。
僅か三コールで繋がった相手の声を聞きながら、ホアキンは腹を括って息を吸った。
「ごめん。記事になった」
は? と疑問符を浮かべるサムの声を聞きながら、ホアキンは己の浅知恵を一から説明することとなった。