計画は?
夜明け前に目を覚ます。時計を見れば眠っていたのはほんのわずかな時間であった。
それでも疲れは十分すぎるほどに取れていて、こうした時に己が超人兵士であることを実感する。
「なあ」
口を開けば、俺の言葉を予想したのか、サムが小さく首を振った。
「バック、ダメだ。……まだ、今は」
眠気の残る、幼子めいた仕草だった。それに何も言えなくなる。作戦を立てたのがサムであれば、俺の甘えでこの14ヶ月を台無しにするわけにはいかないからだ。
「わかった」
そう言いつつも、己の眉間に皺が刻まれるのも仕方ない。
この部屋を出れば、俺とサムは『敵対関係』であらねばならなくなるからだ。
「GRCが?」
サムからその話を聞いたのは、選挙が近づいた頃だった。久しぶりの休日に、記者を撒いて俺の家に辿り着き、一息ついた時だった。
曰く、GRCの動きが活発化しており、サムが把握しているだけでも複数の難民コミュニティの近くでそれらしい車や役人が見られたと。
「さらに言うなら、フラッグスマッシャーズが食料やワクチンを融通していたコミュニティばかりを対象にしている」
思わず眉間に皺が寄った。コーヒーを淹れるために手にしていたマグカップに力がこもり、嫌な音を超人の耳が拾ったところで机に置く。
言うまでもなくアメリカは二大政党制だ。サディアス・"サンダーボルト"・ロスはキャプテン・アメリカであるサムの協力を得るためにも難民や移民に対し歩み寄りの姿勢を見せていたが、もう一方の党はそうではなかった。
俺は言った。
「指パッチンの前の世界に戻そうとする動きが向こうの政党であるのは知っているが、早すぎる。まだ選挙も終わってないんだぞ」
「レッド・ハルクの件で国民の信頼が揺らいでいるのは知っているだろう。次の選挙は苦戦を強いられる。下院は奪還されるかもしれない」
サムはひとつ息を吐いた。
「おまけに、ヴァレンティーナ・アレグラ・デ・フォンティーヌ議員のことは知っているだろう。前回当選した元CIA長官だが、彼女が妙な動きを見せていると連絡があった。おそらくは過去の清算を計っているのではないかと……。彼女と婚姻関係にあったエヴェレット・ロスからの情報だ」
「あいつが、ワカンダが協力関係を認めているキャプテン・アメリカに嘘を吐くわけはないか」
思わず天を見上げていた。映るのは真白い天井だ。長く息を吐いた後、サムに向き直る。
「何をすれば良い?」
「ロスの時と同じだ。協力者と情報を集めて欲しい。ロスの件で実感したが、キャプテン・アメリカは政府から距離を置いた方が良い。だが、それでは限界がある。GRCの動きを止めるにも、彼女を裁くにも」
「正攻法でいくのか?」
「当たり前だ。……彼女が噂通り超人を作り出す計画をしているなら、せめて被験者の保護が完了するまでは慎重になるべきだ。カーリのような結末には、もうさせてはならない。それにお前は興味が薄いだろうが、ジョン・ウォーカーにも彼女は関わっている。ジョンのパートナーから相談を受けててな。無下にはできないだろう?」
「そんなことにまで首を突っ込んでたのか?」
呆れて口を挟んでしまった。
「ただでさえ事務仕事に追われているんだから、たまには他人のカウンセリングより自分のケアを優先したらどうだ?」
「セラピーをサボって逮捕されたお前には言われたくない。これに関してはスティーブに出会う前からの性分だ。今更変えられないさ。……それよりも」
先程までとは打って変わって、悪戯を企む子供のような顔でサムは言った。
「ちゃんと当選はできるんだろうな? バッキー・ブキャナン・バーンズ候補? 今のところスピーチ原稿はスタッフの協力でなんとかなっているようだが、囲み取材はひどいものだったじゃないか」
「見てたのか」
思わず顔が歪む。自分の価値観が100年前からほとんど変わっていないことに気付いたのはワカンダで暮らしていた時だ。現代的な価値観は学んでいるものの、間に合っていない部分は多くあった。口が悪い自覚もあり、到底議員候補として許されないコメントをしてしまいそうになったことは何度もある。
サムが笑った。
「まあ理由はわかるが、せめて黙り込むよりしゃべった方が良い。目付きの悪さが目立つ」
伸びてきたサムの手が、俺の目元に触れた。
「目付きの悪ささえどうにかすれば、誤魔化されてくれる人もいるだろ。誠実ではないが、それもひとつの武器だ。なあ、ブルックリンの色男?」
「……お前は、全く誤魔化されてはくれないがな」
その手を取って恭しくキスをする。わざとらしい仕草にサムが声を上げて笑ってみせた。
俺は言った。
「選挙結果は期待していてくれ」
「もし失敗したら計画は一から立て直しだ。信じているからな。バック」
その言葉に頷き、新たな道で目的の為に努力していくのだと決意した。
しかし気がつけば、ニューアベンジャーズとしてヴァルに担ぎ上げられていた。
「すまない、サム」
秘匿性の高い通信回線を使い、やっとのことで他のメンバーの目を掻い潜りサムに電話をかければ、電話の向こうで相手が頭を抱える気配がした。
「……見ていた。本当に驚いたぞ。NYが闇に飲まれる前に、お前からセントリー計画についての事前連絡がなかったら、どういうことだと押しかけているくらいだ」
「こうなるとは思ってもみなかったんだ……。ただ、あの会見がなければ勢い余って殺していたかもしれないから、それは結果オーライだったな」
「冗談じゃない。俺はもう一度お前とカップルセラピーを受ける気はないからな」
「俺もだ」
その答えにサムは小さく笑った後、ため息を吐いた。
「アベンジャーズの再編は、言い出したロスがラフトへ収監されたこと、それによる影響で反対の声が大きくなっていること、そして今、世界で起きている騒がれている『ドゥーム』事件の調査で一旦止まったままだ」
「……」
「事件が広がるにつれ、世界ではなくアメリカだけを守る『アベンジャーズ』が欲しいと言う声も出てきた。まあ、フォンティーヌ議員のことだけどな。その状態でアメリカの危機を救った者がアベンジャーズを名乗ればどうなるか」
「今回のことはほとんどマッチポンプに近い。それが広まれば」
「バック」
サムは言った。
「俺が今回の件に間に合わなかったのは事実だ」
「サム」
何故、電話なんかでサムに連絡してしまったのかと後悔しても、すでに遅かった。顔で誤魔化されてはくれない男であっても、表情で伝わるものはある。何より俺がサムの顔を見て、抱きしめたかった。
「GRCのことはどうなる。来年には大統領選もある。俺は降りるつもりだ」
「それはダメだ。一度始めたものをすぐに終わらせれば世間はますますヒーローを信用しなくなる。それじゃあ、守れるはずのものも守れなくなる。GRCのことはゲイリー議員にも協力を仰ぐ。政治家としてあまりに不出来なお前が、それでも見つけてきてくれた協力者だろう。バック、並行してやらなきゃダメなんだ。……俺たちは過去に世界を守ったが、それでもフラッグ・スマッシャーズは生まれた。カーリは力を求めた。過去に言われたことがあるよ。あなたが世界を守ったことは知っているけれど、信用はできないと」
はっ。とサムが息を吐く音がした。
「バック、お願いだ。俺はすでにワカンダと協力して調査を初めてしまっている。もしかしたら、世界の危機になるかもしれない。だが、その代わりに他の事件の対応は間に合わないかもしれない。今のアメリカがヒーローを求めているのは事実だ。だから、そのままニュー・アベンジャーズとして活動しながらフォンティーヌ議員の情報を集めて欲しい。もし可能ならば、協力者も。彼女は然るべき方法で裁かれるべきだ」
「活動を許可するのか? それこそ、彼女に恩赦のきっかけを与えるようなものだ」
「それはさせない。なら、アベンジャーズはキャプテン・アメリカ非公式ってことにすれば良い。……スティーブから受け継いだ、お前にとって家族同然の盾や名前をこんな風に使いたくはないが、俺にはそう言える権利がある。異論は?」
「ある……。お前ばかりが、全てを背負うな」
それは、せめての反論だった。
「盾も名前も、利用するのは俺も同じだ。……しばらく、騒がしくなるな」
「きっと明日のニュースの見出しは『キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャー、喧嘩別れか!?』だな」
お互いに、少しだけ笑い合った。
サムは言った。
「前は、何か聞かれたらとりあえず何か喋った方が良いと言ったが、今度は喋らない方が良い。喋るとボロが出そうだ」
「ひどいな」
「事実だ。代わりに俺がお前のことをこてんぱんに言ってやる」
それで傷付くのはお前だろう。と言おうとして、やめた。そんなこと、サムが1番知っているからだ。
「また、お前の事務仕事が増えるな」
「最近はトレスの手も借りてるから大丈夫だ。下の世代の成長は嬉しいものだな。バック、お前も、盾を持った俺に同じことを感じていたのか?」
「少なくとも、お前が中尉に感じているものとは違ったがな。同じなら、愛せはしない」
サムが小さく息を飲んだ。
「お前がキャプテン・アメリカとしてすべきことをするように、俺もやれることをやるさ。愛しているよ。サム」
「知ってる。俺もだ。頼んだぞ、相棒」
「ああ」
そして通信を切った。
それから先は知っての通りだ。
「行くのか?」
上半身を起こした俺に、隣でうたた寝していたサムが問いかけた。情事の気怠さが残る口調に、自然と俺の口元が緩む。
「俺やお前に張り付いてるパパラッチも、この時間は数を減らすからな」
嘯きながら、その頬を撫でた。常より少しだけ高い体温に、離れがたさを感じてしまう。
サムがニュー・アベンジャーズを認めないと宣言してから、サムと二人っきりで話す機会は意外にもすぐにやってきた。他のメンバーがサムを説得してこいと言い出したからだ。
渡りに船の要求だった。
もちろん俺にはサムを説得する気はない。
結果、外では彼の言う『目付き悪男』として彼と対面し、重要な話だからと二人っきりになった途端に抱き合っている。
茶番だ。そう考えてしまうこともあるが、しかしお互いが持つ情報を交換し、ケアをし合うためには必要な時間だった。
上半身を倒し、サムに軽く口付けて、俺は言った。
「また説得に来る」
「お前、相当説得下手だと思われてるぞ」
「知ってる」
しかし問題はなかった。囲み取材の対応の酷さから、これは無理だと納得されていたからだ。それでも俺を何回も説得に出すあたり、他の面々も口のうまさは似たようなものなのだろう。エレーナに「やめて」と一蹴されているアレクセイと、盾と妻子の件があるジョンは論外だ。
まだ様々な懸念はあり、うまくいっていないことや失敗したこともあるものの、普段は行き当たりばったりで計画も碌に立てない俺たちが『キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャー有するニュー・アベンジャーズが対立している』と世間に思い込ませることだけは嘘みたいにうまくいっていた。
世間は望んでいたのかもしれなかった。
白人であるウィンター・ソルジャーと黒人のキャプテン・アメリカの対立を。
もう一度サムに口付けてから、ベッドを降りようとして、俺は言った。
「そういえば、今度俺たちのコーンフレークが発売されるぞ」
「何だって?」
「ニュー・アベンジャーズって名前入りのコラボパッケージのコーンフレーク。キャプテン・アメリカが一年経っても俺たちを認めないなら、先に商業化して権利を得てしまおうとヴァルが」
サムが額に手を当て、深いため息を吐いた。
「……怒り出しそうな顔が2〜3は浮かんだ」
ため息を吐きながらサムは言った。アベンジャーズの名前は、今も昔もキャプテン・アメリカだけのものではなかった。その名前に対する思いも、人それぞれで違う。近しい者、トニー・スタークの葬儀に出た者にはとっくに話を通してあり、彼らには協力もしてもらっているが、ヴァルがラインを越える度に、今すぐニュー・アベンジャーズを解散させた方が良いのではないかという声が大きくなっていた。
俺もそう思っているが、サムはまだダメだという。
確かに、すべきことは山ほどあった。
であれば、その山を少しずつ崩すしかない。
脱ぎ捨ててあったシャツを着ながら、俺はサムに問いかけた。行き当たりばったりで勢いだらけの俺たちだが、それでも目的だけは最初から何も変わっていなかった。
「それで、GRCを止めるのと、ヴァルを裁くための次の計画は?」