嘘なんて
ロキによってこのアースに連れて来られたウィンター・ソルジャーは、サムの良く知るバッキーよりもいくらか若く、そしてずっと深く眉間の皺を刻んでいた。人の想像出来ることはなんだって起こる世界であれば、若返ったと言えば信じられるだろうし、そうでなくとも化粧やナノマシンで外見だけならどうとでも変えられる。であればウィンター・ソルジャーを『バッキー』だと言って連れ回しても、一瞥しただけなら別アースの存在と入れ替わっているとは分からない。
しかし態度の悪さはどうにも出来なかった。
話しかけ、喋りでもすれば、スマイリング・タイガーに変装したサムのように、怪しまれるのは避けられない。そうと分かりつつ、ウィンター・ソルジャーをサラ達に会わせたのはサムだった。致し方のないことだった。けれど彼と入れ替わっていたバッキーが戻ってきた後、全ての後始末を終えてもう一度デラクロワを訪ね、洗いざらい経緯を白状すれば、思っていたよりもずっと強い反発が甥っ子達から返ってきた。
「あんたが向き合ってるものが、私には想像も付かないような出来事だってことは分かってるけど」
バッキーが子供達と部屋の外へ出て、その足音が聞こえなくなるほど遠ざかった後、サラはため息と共に弟に言った。
「あの子達が普段と様子の違う大事な人のことを心配するのは、そんなに想像し辛いことだった?」
それを聞いたサムは唇を引き結び、いつかのバッキーのごとく眉間に皺を刻んだ。
初めてデラクロワのウィルソン家に現れた時から、バッキーはサムの甥っ子達に甘かった。暗殺者であった頃の悪夢──と言えば、バッキーはやはり眉間に皺を寄せるのだろう。俺の手で人が死んだことは現実だと──からようやく抜け出し始めた頃だったにも関わらず、彼らがキャプテン・アメリカの盾を触ることを許し、メタルアームにぶら下がることを許し、無条件で笑顔を見せた。
思えばAJとキャスは、サムが普段よりずっと無口な『バッキーおじさん』を連れて来た時、いつにもまして明るかった。初めてバッキーに出会った頃のように甘え、彼に笑いかけていた。
そうしなければならないとでも言うように。
「……悪かった」
苦味を帯びた謝罪に、サラはもう一度ため息を吐くと、皿を割ってしまった息子達へ向けるような視線を弟に向け「あんたは?」と問いかけた。
「あんたはもう大丈夫なの?」
まさか子供達の『大事な人』に自分が入っていないなんて、思ってやいないでしょうね。とでも言いたげなサラに、サムはわずかに目を丸くした後、ホッと肩から力を抜いてみせた。
「大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ」
力強いサムの応えに、サラはようやく納得したようだった。
「ならよかった。でも、バッキーに甘えずに、あの子達とはちゃんと話してあげなよ」
「分かってる」
それを聞いて、サラは窓の外を見た。サムもそちらへと視線を向ければ、ちょうどバッキーと共に家の外へと歩いていく甥っ子達の姿が見えた。きっと、今度こそ彼に船を見せに行くのだろう。船の中に入ったバッキーがどんな顔をするのか。それを確かめられないことだけが残念だ。バッキーとサムのポスターの間に、スティーブのポスターを貼ったのはサムだった。そしてその周りにスティーブの写真を貼ったのは、別のアースからやってきたバッキーだ。
「やっぱり、随分と違うわね」
バッキーの後ろ姿を見つめながら、サラが言った。
「顔は一緒なのにな」
サムは同意した。目尻の下がった男の表情は、警戒心をあらわにしていたウィンター・ソルジャーの姿と重ならない。
「あの『バッキー』は、全く可愛げがなかったからな」
言って、サムは己の口から出てきた言葉に驚いたように目を丸くした。思わずと言ったように己の口を押さえ、しかしそんなことをしても、言い放った言葉が無かったことになるわけでも、口の中に戻ってくるわけでもない。
サラは弟の表情に呆れたように言った。
「なんて顔してるの。今更なことじゃない」
サムは一瞬考えるような顔をした後、サラの告げた言葉の意味を理解して、「嘘だろ」と呟いた。
「嘘なんて吐いて何になるの」
言うことをきかない子供に噛んで含めるように、サラはサムに言ってみせた。
「あんたがバッキーを可愛いって思ってることなんて、今更言われなくても、AJやキャスだって分かってるわよ」