一生一緒にいてください。

 吾妻ひろには賀風五ェ門という一風変わった幼馴染がいる。名前のように古風な話し方をし、着物を普段着とする男である。
 彼は常に顔の半分を隠すマスクを付けていた。
 幼馴染である吾妻も、彼がマスクを取った姿を見た事がない。けれど吾妻はその事を気にした事がない。素顔に興味もない。賀風がマスクをしている理由こそ話の流れで聞いたことはあるが、吾妻には心底どうでもいい話であったので、途中から眠ってしまったほどだ。
 つまり吾妻にとっての賀風の素顔とはその程度のものだった。
 だから良い加減理解して欲しい。
「なんで逃げるの」
 席から立とうとした賀風の手を掴んで、吾妻は眼鏡越しに賀風を睨み付けた。なまじ吾妻の顔が整っているだけに、顔を顰めれば人を必要以上に萎縮させてしまうことはよくあるが、賀風に通用しないことは分かりきった事実である。賀風の手が震えているのは別の理由だ。
 吾妻のせいではない。
 その事が腹立たしい。
 吾妻に手を掴まれた賀風はしばし迷うようなそぶりを見せた後、吾妻殿が。と言って、口を閉じた。普段のお喋りはどこへ行ったと吾妻は思いながら、座りなよ。と促した。個室を頼んでいたので店員や他の客の注目は浴びずに済んだが、二人の間には沈黙とひとつの小さな箱が残った。
 中には指輪が入っている。
 俳優として殺陣を日常的にこなす賀風の硬くなった指に合わせた、オーダーメイドの指輪である。
 本当なら彼と一緒に選んだものを渡したかったが、このくらいせねば賀風がこちらの本気を理解しないだろうと考えて買ったものである。すでに二度、冗談だと思われて笑い飛ばされている。二度あることは三度あるにしたくない。
 吾妻は賀風の手を掴んだまま、ひとつため息を吐いて顔を上げた。
「俺はお前が好きだよ」
 まっすぐと、賀風を見つめて吾妻は告げた。その言葉に賀風は小さく息を飲み、拙者は。と呟いた。
「拙者は、この顔の事がある故」
 と、賀風の吾妻に掴まれていない方の手が、マスクに触れた。そこには誰にも見せられぬ賀風の素顔がある。吾妻も一生見ることは叶わぬ部分だと分かっている。だからこそ賀風は吾妻の好意に応えられぬと告げている。
 顔も見せられぬものが恋人に、ましてや伴侶になれるわけがないと。
「だから」
 だから、と拒絶の言葉を吐こうとした賀風の手をもう一度強く掴み直し、吾妻は再度ため息を吐いた。
 そんなことで振られてたまるかと思ったからだ。
「俺はお前の顔なんかどうでも良いんだけど」
「……は?」
 賀風が呆気に取られたような声を出した。
 吾妻にとって。
 賀風五ェ門とはその鬱陶しいほどの世話焼き気質と良く回る口でできた人間だ。顔で好きになったわけではなく、顔で選んだわけでもない。間合いを好き勝手に詰めてきた賀風を吾妻が呆れつつも受け入れたのは、賀風が賀風であったが故だ。
 であれば吾妻はたとえ賀風が『見るも悍ましい化け物』であったとしても、中身さえ変わらず言葉を交わせたならば、それが彼だと受け入れただろう。
 吾妻ひろの愛とはそういうものだ。
「だから」
 だから。と言葉を続けようとした吾妻は、その手をギュッと握られて言葉を止めた。見れば、賀風のマスクと片手で隠された顔の隙間から見える目元が、あるいは耳が真っ赤になっていたので。
「……だから、俺と結婚前提で付き合って欲しいんだけど」
 と己もつられて顔を赤くしながら告げた吾妻の言葉には、賀風五ヱ門らしくない、はい。という小さな答えが返ってきた。




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