エンドロールのその後に




 真夜中に目が覚めた。部屋が乾燥していて喉が乾く。ローラはそっとアルと寝ていたベッドを抜け出した。出来る限り気配を消し、わずかな光の漏れるリビングを覗こうとすれば、タイミングを見計らったかのように声をかけられた。
「入っていーよ」
 声の主はウェイドだ。ローラは小さく息を飲んだ後、おそるおそる暗いリビングへと踏み込んだ。照明を落とした部屋ではサイレント映画を流すテレビだけが光っており、ウェイドはテレビの前のソファに座っている。
 ローラはそっと、笑みを浮かべるウェイドに近寄った。
「喉乾いちゃった?」ウェイドが言った。
「うん、水でも飲もうと思って……」ローラは頷いた。
 そして視線をウェイドの隣へ移動させる。
「ローガン、寝てるの?」
 ウェイドの隣には、彼の肩に頭を預けて目を閉じたローガンがいた。己と同じく他者の気配に敏いミュータントの、こんなに無防備な姿を見るのは初めてだ。驚いてローラが問いかければ、ローガンの瞼がうっすらと開いた。
「……起きてる」
 どう考えても、片足を夢の中に残した者の声だ。
 ローラは慌てて口を開いた。
「寝てて良いよ。水飲んだら部屋に戻るから」
 睡魔を払おうとしているのか、唸りを上げて身動ぎしたローガンは、「だが」だの、「おれも」だの掠れた声で言っていたが、最後にはウェイドに軽く肩を叩かれて静かになった。
 規則正しい寝息が聞こえてくる。
「本当に疲れてるんだね」
 眠るローガンから視線を外さずに、声を潜めてローラは言った。目を閉じた男の姿は穏やかで、眉間の皺ひとつない。ローガンの外見は己の『父』を思い出させるが、同時にこんな表情は知らなかったと思う。当然だとも思う。ローガンの寝顔はウェイドが引き出したもので、そしてこの家にいるからこそのものだった。
 手慰みのようにローガンの髭をくすぐって、こちらも同じく潜めた声でウェイドは言った。
「ヒーリングファクター大忙しだったからね。TVAから連絡が来た時は俺ちゃんも驚いたけど、こうして元気に帰ってくるんだから流石はウルヴァリン。おかげで臨時収入もあったし、TVAには貸しが出来た。このこと一生ネタにして慰謝料脅し取ろう」
「そっか」
 ウェイドに相槌を打ちながら、ローラはウェイドの横顔を見つめた。ご機嫌な姿は昨日見たものと全く違う。
『ローガンが?』
 TVAからウルヴァリンが消えたとの報を受けた時、ウェイドとローラは共にいた。映画館へ出かける準備をしていて、ローラは買ったばかりのシャツに袖を通したところだった。ローラが慌ててリビングへ行けば、ウェイドが早口でB-15を詰っており、そしてローラの姿を見てハッと口を閉じた後、ほぞを噛んだような顔をした。
『ごめん。ローラ。埋め合わせは絶対にする』
 ローラはウェイドが、あるいはアルやローガンが、普段のふざけた生活の裏で保護者として出来る限りのことを選択しているのを知っていた。そしてそのウェイドが、ローラまでもが不安になるような顔をしていたから、ローラはただ頷いた。
『お土産よろしくね』
 その言葉を聞いた途端、ウェイドは了解したとでも言いたげにひとつローラの肩を叩き、ホルスターを掴んでB-15と共に光の扉へ消えていった。
 しんとしたリビングで、立ち尽くしたローラを現実に引き戻したのはメリーだった。ローラの足下でクンクンと鳴く小さな身体を抱き上げて、最悪のことも覚悟した。
 だからその日の夜、普段より一時間だけ夜更かしをしていたアルとローラとメリーのもとに、ウェイドが土産を携えて帰って来た時は、心底ホッとしたのだ。ウェイドが知らない数十人の血の臭いをさせていたことには気付いていたけれど、そんなことはどうでも良かった。
 帰って来て、一緒にいてくれるなら、どうでも。
「ウェイド」
 ウェイドの話の内容はいつの間にかテレビで流れる映画の話になっていた。声を潜めたまま長々と助演俳優についての熱弁が振るわれていたが、ローラが呼びかければピタリと止まる。
「どうかした?」
 ウェイドはローラと話す時、なるべく目を合わせようとする。ウェイドの瞳に己が映っているのを確認し、ローラは言った。
「明日、お泊まりしてきて良いよ」
 ローラの言葉に、ウェイドはパチリと目を瞬かせた。
 ウェイドとローガンが、明日は朝から一緒に出かけると聞いたのは夕食の時だった。「泊まりかい?」とすぐに反応したのはアルだ。けれどウェイドは首を振った。
「夕方には帰ってくるよ」
「デートじゃないの?」
 アルの問いに答えた時と同じ言葉を返されて、ローラはその時聞けなかったことを聞いた。今時はティーンでも、お互いの同意の上で他者と夜を過ごすことは当たり前になっている。
 再度の問いかけに、ウェイドは少し目を泳がせた後「……デートだよ」と言った。
 ウェイドの耳が少し赤い。何をそんなに照れるのか、ローラは分からなかった。二人が恋人同士になって半年以上が経っている。そうなるまでに色々と周囲に迷惑をかけたので、コロッサスには正座で説教されているし、アルには何度か家を叩き出され、そして今でも痴話喧嘩するたびに同じことが起こっている。
 なにより恋人同士となった二人は週末に、デートに行くことも多かった。正確な割合は調べていないがローラの体感ではそのうちの半分が泊まりでのデートである。おかげでウェイドとローガンの匂いが混ざってわからなくなる時がある。ローラとてこの家で暮らし始めてから食事や石鹸、その他様々な理由によってアルやローガン、ウェイドと匂いが似てきたが、ウェイドとローガンほどではない。
「待ってローラ。今なんか聞き漏らせないこと言った?」
「え、何を?」
 うっかりぼんやりとしていたら、急にウェイドに声を上げられローラは肩を跳ねさせた。ウェイドと話しているとよくあることだが、いつもびっくりしてしまう。
「……ぅ」
 そして声を潜めるのを忘れてしまったからだろうか、ローガンが小さく唸り声を上げた。
 思わずローラはウェイドと目を合わせた。
「しーっ」
 二人で口に人差し指を当てた。そのタイミングが全く同じだったので、やはり二人して吹き出してしまう。声を出さないままに肩を揺らす。
 今度こそローガンを起こさないように気をつけながらローラは言った。
「映画の邪魔してごめん。もう寝るね」
「こっちこそ引き止めてごめん。ここにあるミネラルウォーター一本部屋に持っていって良いよ」
「そうする」
 おやすみ。と言えば、おやすみ。と返される。そして机の上のペットボトルを掴み、キッチンに向かおうとしたローラは、しかしウェイドに呼び止められた。
「ローラ」
「何?」
 首を傾げれば「さっき言い忘れたけど」とウェイドは言う。
「今日はクズリちゃんが疲れて寝ててみんなで一緒にご飯食べられなかっただろ? だから明日の夕飯は、ちゃんと一緒に食べよう」
 ローラは思わずローガンを見て、そしてもう一度ウェイドを見た。
 時々、ローラはこの家で食卓を囲んでいることが夢ではないかと思う時がある。
 暖かなご飯。それを作ってくれる人。一緒に食卓を囲む相手と、可愛いペット。
 そして目の前の二人が同じ恐怖を抱いていることを、教えられずと気付いていた。
「うん」
 ローラは頷いた。
「美味しいご飯お願いね」
 それと、とローラは続けた。
「来週はローガンも一緒に映画館に行こう」
 その言葉にウェイドがサムズアップを返す。テレビの中の映画はエンドロールを流している。
 けれどエンドロールが終わった後も、ローラは消えずにこの家にいる。