そんな顔を見るくらいなら




 墓穴を掘ったのはウェイドだが、逃げ切れると思っていた。
 甘かった。
 まさかローガンが恵まれし子らの学園まで巻き込むとは、流石に思ってはいなかった。
「ウェイド」
 目の前にいるのはローガンだ。そして四方は壁に囲まれている。普段のウェイドならば躊躇いもなく窓やドアや壁を壊して逃げただろうが、今回ばかりはそうもいかない。なにせアダマンチウムの刀でも壊せない。X-MENか誰かが外から何かしているか、ヴィブラニウム製の部屋と考えて良いだろう。MCUに合流したせいか、第四の壁の向こうを知るウェイドにも、予想が追いつかないことが増えていた。
「くそったれ! アダマンチウムの相場を掻き回しただけじゃ物足りないってか!? 形状記憶はヒーリングファクターだけで十分だっての!」
「ウェイド」
「あんたそれしか言ってねえな!」
 一発、二発。イーグルがローガンの胸を撃ち抜くが、その足が止まることはない。他の人間ならば四肢の一本や二本弾け飛んでいるだろう、着弾と共に弾頭が開く殺傷力の高い弾でもお構いなしだ。
 あ、これはまずい。とウェイドは思った。
 手遅れだった。
 ローガンのヘーゼルアイがウェイドを射抜いている。光を受けて色を変える瞳にウェイドが映っている。
 カツン。とローガンから目を離すことのできないウェイドのブーツの踵が壁に触れた。途端にローガンの手が、ウェイドに伸ばされる。
「逃げるな」
 吐息が触れるほどの距離に、ローガンがいた。痛くない程度の力で腕を掴まれる。
 同時に窓の外から小さな声が聞こえてきた。思わず。というような声は、明らかに子供の声だ。
 ちくしょう。見てんじゃねえ。とウェイドはほぞを噛むが、この距離にローガンがいて、ウェイドが彼から目を逸らすことが出来るはずがない。
 仕方なく、ウェイドはデッドプールのマスクの下で笑ってみせた。
「ハロー。ウルヴァリン。あんたの特別授業に俺ちゃんを招待してくれてありがとう。専攻は歴史と投擲って聞いてたけど、今日教えるのは逃げるミュータントの捕まえ方? 俺の逃亡ルートを予測し狭めて、最後にゲートを開いてこの部屋に押し込んだのは鮮やかだった。俺ちゃんも諸手を上げて降参しちゃう。せっかくだからあんたの爪に討ち取られてやっても良かったけど、それだと窓の外のキティ達が画面外に追いやられる。それに俺はあんたの顔に弱いから、爪なんて使わなくても見つめられるだけで捕らわれちゃう」
「冗談はやめろ、ウェイド」
 冗談じゃないけど。とウェイドは思ったが、大人しく両手を合わせて頭を下げた。
「ごめんなさい。で、今回の俺の容疑は? あんたをこんな怒らせるようなことした覚えはないんだけど」
 そう告げれば、ローガンが口の端を歪めてみせた。
「お前には、俺が怒ってるように見えるのか?」
「見えない」
 だからこそウェイドはこうしてローガンと向き合っている。怒っているならばその火を煽って燃料を焚べて、お互いに疲れてへとへとになるまで殺し合い、全てをあやふやに出来たかもしれなかったのに。
「ウェイド」
 ローガンが言った。
「脱げ」
 またもや窓の外から声が聞こえてきた。今度は悲鳴に近い。きっとドキドキワクワクしながら覗き込んでいるのだろう。恋愛に興味がないティーンでも、教師の痴情のもつれは別腹だ。
 ウェイドは軽く肩をすくめてみせた。
「俺の肌を見せて、子供らのトラウマになったらどうすんの」
「見せるつもりはない。それにお前の肌はお前が生きようとしている証拠だ。そうして俺を怒らせようとするのはやめろ、分かっているんだろう、ウェイド。俺が見たいのはお前の肩だ」
 ローガンの手がウェイドの肩に伸ばされ、ウェイドは咄嗟にその手を払い落としていた。ローガンの眉間の皺が深くなる。
「いつから怪我をして、いや……」
 ローガンが首を振る。
「いつから怪我が治っていないんだ? ウェイド」
 真っ直ぐに問いかけられて、ウェイドは天を仰いだ。
 逃げ切れると思っていた。せめてケーブルが帰ってくるまで隠し切れればと、甘いことを考えていた。しかしTVAの仕事から帰ってきたローガンにすぐに見破られてこのザマだ。まさか恵まれし子らの学園にまで手を回すとは思わなかった。
 ローガンがウェイドを大事にしていることは、ウェイドが一番知っていたはずなのに。
 ウェイドはひとつため息を吐いた後、口を開いた」
「……一週間前」
「俺がTVAに連れていかれてすぐか。何があった?」
「傭兵の仕事で行った研究所が、ブラックマーケットで手に入れた品を扱ってたってだけ。最初はどうってことないと思ってたんだけど」
 ウェイドが己の手を背中に回し、スーツのチャックを僅かに下げた。そしてスーツを無理矢理引っ張り首元をさらしてみせる。
 その瞬間、ローガンが息を飲んだ。
「変な銃の弾が掠って、この通りってわけ」
 現れたのは、奇妙に青く光る傷口だ。ヒーリングファクターで治ろうとする端から傷が広がり、皮膚が別の生き物のように波打っている。
「これは……」
「おっと。直接触るなよ。あんたもこうなりたいなら別だけど。研究所のレポートを漁った限り、増殖機能付きのナノマシンだ。医療用を応用して、弾に仕込んだらしい。掠っただけでも感染して、傷口の治癒を防いで相手を喰らい尽くす。ヒーリングファクターを持っててもこれだ。普通の人間ならすぐに死んでる」
 まあ未完成品みたいで布一枚でも挟んでれば感染しないんだけど。と告げたウェイドに、大きく息を吐いたローガンが問いかけた。
「……治療法は」
「最初は肩ごと吹っ飛ばそうと思ったけど、下手にナノマシンを散らしたらどうなるかわからない。だからケーブルに依頼済み。調べてもらった」
「解決の目処は」
「付いたって。昨日連絡があった」
 ウェイドが己のスーツを元に戻し、チャックを上げた。それだけで普段通りのデッドプールに元通りだ。よく見れば肩のあたりが濃く色を変え、取れない血の匂いをまとってはいるのだが。
 ローガンがそっとウェイドの腕から手を離した。
「なら、良かった」
 そう告げるローガンを見て。
 ウェイドは、マスクの下で顔を顰めた。ローガンのこの顔が見たくなくて逃げたのに、結局こうして捕まってしまったのだから意味がない。
 ローガンがこのアースに来てから出会った人々を、大切にしていることはもう十分にウェイドは分かっていた。それこそ数十年前。アルが老いて死の淵に立っていた時、最も彼女を気にかけそばに居たのがローガンだった。ウェイドは一度ローガンに聞いたことがある。
 自分もアルのことは好きだけれど、どうしてそこまで出来るのかと。
 どうして冷静でいられるのかと。
 それは、ウェイドの老化がゆっくりと止まり、己も死なないのだと、大事な人たちに置いて行かれるのだと知ってすぐのことだった。
 その問いに、ローガンは少しだけ笑って答えた。
 冷静ではないと。
 ただ、元のアースで、己の大事な人達はみんな、老いて死ぬことも病気で死ぬことも許されなかったから。
 彼女が、あるいは他の大事な人達が、老いることが出来るなら、すぐ近くでなくても、せめて何かあった時に対応できる距離に居てやりたいと。
 それを聞いた時、ウェイドはひどく泣きたくなった。同時に己のヒーリングファクターは、彼の隣にいるためだったのか。という独りよがりな考えに笑いたくもなった。
 そして遠くない将来、己はローガンに恋をするのだろうとも悟ってしまった。
 その恋心と同じものを返されるとは思ってもみなかったけれど。
 ウェイドはひとつため息を吐いた。ローガンにあの顔をさせてしまった以上、もう逃げる気はなかった。
「ケーブルにもう一回連絡取りたいから、そろそろこの部屋出たいんだけど」
「ああ。それなら普通にドアノブを回して開ければ外に出られるはずだ。お前は頭に血が上って壊すことしか考えてなかったみたいだが」
「はあ?」
 ウェイドから身体を離したローガンが、躊躇いもなくドアノブを回してドアを開けた。ウェイドがあっけに取られていることも気にせずに、よくできているな。と嘯いた。
「お前の怪我を確認したかっただけだからな。まあ治療は本人の同意が取れるまで出来ないと言われたから、白状しなかったらするまで閉じ込める気でいたが、もし急を要するようなら、すぐにでも地下に駆け込む準備は出来ていた」
「それはちょっと勘弁してほしい……」
 ウェイドは一応X-MENに所属しているものの、傭兵の仕事で何度か彼らの邪魔をしてしまっている。仲の良い者も複数いるが、同じだけ恨みも買っていた。死なないからと大学に通って教員免許を取り、歴史の研究をしながら恵まれし子らの学園で教師をしているローガンや、同じくヒーリングファクターを持っているが故に老化が止まった後、X-MENとして本格的な活躍を始めたローラやドックプールとは違うのだ。
『本人の同意がなければ治療できない』ということも、半分本気、半分『デッドプール』への嫌がらせだろうな。と思いながら、ローガンと一緒に部屋を出たウェイドは、不意に感じた視線に振り向いた。
 見れば、窓から己とローガンを見つめる子供達と目が合った。おそらくはローガンに協力した子供達だろう。
 わ。と途端に慌て出した彼らにウェイドは告げた。
 ついでに第四の壁の向こうにも。
「これはサービス」
 ローガン。と名前を呼んで、マスクも取らないまま己と変わらぬ身長の男に口付ければ、そこかしこから興奮した叫び声が聞こえてきた。
 今度こそ声を上げてウェイドが笑ってみせればローガンが呆れたような顔をして、しかしウェイドはそれで良いと思った。
 その表情が良いと思った。
 ウェイドの怪我に、痛みを耐えられるような顔をされるより、ずっと。
 ウェイドが笑い続けていれば、ローガンはため息を吐いた後、ウェイドにひとつ口付けた。虚無でのことからわかっていたが、やられたらやり返す性格なのだ。
「早くケーブルに連絡を取れ」
「はいはい」
 携帯端末を取り出したウェイドは、もう一度窓の外と第四の壁の向こうを見ると、にっこり笑って手を振って、そうしてパタンとドアを閉めてしまった。
「バイバイ」