御伽噺にはほど遠い
ローガンは酒瓶の蓋を開けながら、ベッドの上を見下ろした。
そこにはグローブを付けたままのウェイドの左手が置かれている。中指を立てた左手だ。それ以外のパーツはどこにもない。ローガンの目の前で溶鉱炉の中に消えていった。
ローガンはぼんやりとウェイドの左手を見つめながら、ベッドの上に腰掛けた。酒を煽って目を閉じる。絶え間なく響く形容し難い音が、ローガンの耳に届いていた。隣に置かれた左手が、生きていることを証明する音だ。ウェイドはアダマンチウムの骨を持つローガンほど頑丈ではないが、ローガンと同じくヒーリングファクターを持っている。そのため死なない限りは再生する。流石のローガンも左手だけになった彼を見た時は肝が冷えたが、再生していると気付いた時は、ホッと胸を撫で下ろした。
同時にTVAの破壊もやめた。
己のしていることが馬鹿馬鹿しくなったからだ。
ウェイドが危険に陥ったのは、TVAからの依頼に深入りしすぎたからだ。しかしローガンが彼の元へ駆けつけるのが遅くなったのは「計器が安定している限りは様子を見たい」と主張する一部のTVA職員の妨害を受けたからだ。妨害された怒りのままTVAを破壊していたが、しかしこの行為でウェイドの再生が早くなるわけでも、過去が無かったことになるわけでもない。損害に対する賠償は再生が終わったウェイドが嬉々として請求するだろう。手当たり次第にTVAの機器を破壊して賠償金を減らすより、後々ウェイドがぶん取ってきた金で酒を買った方が有意義だ。
破壊をやめたローガンは、タイムパッドを操作して適当なセーフハウスにやってきた。再生するとはいえ、今のウェイドがローラやメリー達に見つかれば心配をかけてしまう。
やってきたセーフハウスはウェイドも使っていなかったのか、一年以上前にローガンがTVAの仕事帰りに立ち寄った時のままだった。
ベッドの上にも埃が積もっていたので、クローゼットから新しいシーツを取り出し、古いものは捨てた。この近くにコインランドリーがあることは知っていたが、ウェイドの側を離れる気にはなれなかった。
そして話は冒頭に戻る。
もう一度、ローガンは酒を煽った。
昨年ローガンがセーフハウスに寄る前に買い、翌朝にはすっかり存在を忘れていた酒だ。美味しくもなく、アルコールもほとんど飛んでいる。
あの時、このアースに帰ってきたのは深夜だった。暗闇の中で、辛うじて開いていた店で酒を買った。そしてセーフハウスにたどり着いたものの、しかし昔のように酒を飲むよりもすぐに家に帰りたかった。朝日が昇ってから、交通機関が動き出してからにしようとどこか冷静な部分では思っていたのに、ヒーリングファクターをもってしても疲れていたはずの足はいつのまにかふらふらと動き、夜の闇の中を歩いて帰った。酷い仕事だったのだ。自分の芯を見失いそうになったのに、脳裏に浮かぶ男の声が、ローガンを昔のように最悪の存在に戻してはくれなかった。
『あんたは最高のウルヴァリンだ』
ローガンはウェイドの左手にそっと手を伸ばし、しかし触れる前に手を下ろした。今触っても、己のエゴでしかないと分かっていたからだ。
ローガンは改めてウェイドを見た。いつの間にか長い付き合いになり、ウェイドが銃で脳を吹っ飛ばしたり、他者に切り刻まれたりするのは何度か見たが、こうして彼が頭を無くしたのを見たのは初めてだった。
ウェイドが下半身を失った時は子供のような足が生え、徐々に育っていったが、では頭を無くした時にどう再生するのか。は想像ができていなかった。
ローガンはウェイドを見つめ続けた。手首の先に、何か小さなものがくっついていることに気づいたのはしばらく見つめ続けてからだ。
それは徐々に大きくなり、子供の上半身になった。一度菓子折りと新しいデッドプールのスーツを持って様子を見にきたTVA職員が推測するところによると、一度に体全ての再生をするよりも、脳の再生を優先したのだろうとのことだった。
子供の上半身は徐々に大きくなっていった。顔付きにはウェイドの面影があった。十代、二十代、その顔を見て、成る程。とローガンは思った。
稀に。ウェイドは癌になる前の己の顔について話す時があった。過去の己の姿への未練と現在の己の外見の卑下を含んだ言葉は年々数を減らしていたものの決して消えることはなく、そして今、ウェイドの顔を見たローガンも、これは人目を引くと顔立ちだと内心素直に認めてしまった。
しかし同時にローガンは、こんなもんか。という肩透かしを食らったような気持ちも味わっていた。
この顔なら、かつて見たナイスプールと変わらないと。
『ローガン』
ローガンの脳裏に、ウェイドの声が蘇る。それは過去、ローガンをこのアースに連れてきた男の声だった。
ローガンに希望的観測を語り、己が死ぬことへの恐怖を語った声だった。
そして彼に背を向けたローガンを、呼び止めた男の声でもあった。
「ウェイド」
名を呼んで、ローガンは酔えない酒を飲み干した。呼びかけたローガンに応える声はなく、そのことが一番さみしいと思った。なぜ応えないんだ。と怒りも湧いた。自分勝手なものだ。とも呆れた。普段は無駄口ばかりでうるさいとも思うのに、こんな時ばかりウェイドの声を求めている。
やがてウェイドの肌に、ポツポツと色の変わった部分が現れ始めた。それを見つめながら、ローガンはウェイドが目覚めるのを待った。もうすでに数日が経っていた。しかしローガンは待ち続け。
そしてその時はきた。
ウェイドの瞼が震え、つぶらな瞳が現れた。その瞳がローガンを写し、少しだけ見開かれ、同時に口が開かれた。
「グッモーニング、ローガン。春とはいえ流石の俺ちゃんも全裸だとちょっと寒いしまだ内臓治りきってないから、治る前に食べ物と着替え用意してくれない?」
その言葉に、ローガンは思わず笑い、喋り続ける口を己の口で塞いでやった。