おはよう
ヒーリングファクターのおかげか元々の性質か、百歳を越えてもウェイドの性欲は健在だった。いつからか老化が止まっているため肉体の変化も小さく、若い時と同じだけの硬さと持久力も有している。とはいえどんな欲にも波はあるため、理由もなくムラムラとして落ち着かない時もあれば、テカテカおっぱいの恋人に誘われてもいまひとつやる気が出ない時もある。ウェイドは精神面が不安定で、更には体内でヒーリングファクターと癌が常に喧嘩しているので、その影響も大いにあった。
今夜は燻るような熱を自覚してはいるものの、動くこと自体が面倒な日であった。ソファに座ってぼんやりとし始めてどれくらいの時間が経ったのだろう。先程ローガンがカーテンを閉めてしまったが、部屋から出てきた時は、まだ窓の外は明るかった。
ウェイドは体勢を変え、天井から部屋の壁へと視線を移す。不意に襲ってきた憂鬱に、部屋に閉じ籠ったのは数日前のことだった。かろうじてトイレには行っていたが、水もほとんど飲まなかったのでその回数も数えるほどだ。ようやく部屋から出てきたものの、ソファに座ったところで力尽きた。ローガンが温かな飲み物の入ったマグカップを机の上に置いたのは気付いていたが、手を付けることなく冷めてしまった。そのことが悲しみに輪をかける。
今のウェイドは全てのことが億劫で、普段なら意識せずとも出来ることに時間と気力が必要だった。目を閉じて、立ち上がること以外を脳から締め出すように努力する。
立ち上がり、歩く。そしてトイレに行って、出来ればシャワーも浴びたい。着替えすらしていないため、全身に不快感がまとわりついている。部屋に閉じこもっていた時はその不快感が憂鬱を沸き立たせる要素となっていたが、解決方法を考えられる程度には、ウェイドの気持ちは和らいでいた。
息を吸い、言葉にならない唸りを上げる。そして全身に力を巡らせ、一思いに立ち上がった。
「お、っと」
勢いをつけたためにたたらを踏んだが、立ち上がれたことに気分が上昇する。ウェイドが内心ガッツポーズをしていれば、ちょうどローガンがバスルームから現れた。
「あらやだ相変わらずセクシーね」
ボクサーパンツ一枚で現れた相手を見て、ウェイドは思わず呟いた。何日もろくに喋っていなかったので、調律を失敗したピアノのようにウェイドの声は上擦っていたが、ウェイドを見て目を丸くしたローガンは、そのことを指摘しなかった。
「寝ていなくて大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなかったら部屋に引っ込んでるって。何日もごめんね。お姫様は元気?」
「メリーなら先に寝室だ。お前はどうする?」
「今日は一緒に寝られそう」
アルが寿命を迎え、ローラが独り立ちし、正式に恋人となって引っ越してから寝室は同じになったが、個々の部屋は二人とも持っている。仮眠もできるようになっており、ウェイドが今日まで閉じこもっていたのもその部屋だ。
「だるいけど、体の調子が狂ってるのか妙にムラムラするんだよね。トイレで一発ヌいてシャワー浴びてくるから一緒に寝よ」
「そうか」
いつもの軽口ではあるが、ローガンが虚を突かれたような顔をするので首を傾げてしまう。
「どうかした?」
「いや、なんでもない。滑って転ぶなよ」
「誰が足腰弱ったジジイだって?」
「ジジイなのは事実だろ」
いまだ自分の半分も生きていないウェイドにため息を吐いて、タオルと着替えは用意してやるから早くシャワー浴びて来い。とローガンはその肩を叩いた。
ウェイドの精神的な疲れはヒーリングファクターで回復しない。時間をかけて再び憂鬱が蘇ってくることは回避したかったため、サッサと用を済ませて寝室に向かう。そっと扉を開ければベッドサイドの読書灯がともされていた。その明かりを頼りにメリーのケージを覗き込めば、寝ぼけ眼でウェイドを見上げてくる。起こして悪いね。と断って、小さな頭をひと撫ですれば、ぺろりと指を舐められた。そして甘えるように鼻を鳴らすが、眠気には勝てないらしい。口を大きく開けてくわりとあくびをこぼすので、おやすみ。と告げて手を引いた。ついでに確認したところ、ケージの中の水は新しいものに変えられており、トイレも清潔なままだ。
お姫様が再び丸くなるのを見守ってから、ウェイドはベッドに近寄った。
「ローガン」
名前を呼べば、うっすらと瞼が開かれる。眠っていないのは分かっていたので、それ以上何も言わずに空いたスペースに潜り込む。ローガンの体温でびっくりするほど暖かい。もう何度もアダマンチウムの骨格を持つ男の熱に触れているのに、ウェイドは毎回新鮮に驚いてしまう。
すぐに眠気が襲ってきて、先程のメリーのようにあくびをこぼす。
「ウェイド」
ローガンの腕がウェイドの身体に回され、背後から抱きしめられた。恋人となって初めて知ったことだが、ローガンはこうした接触を好むふしがある。それはウェイドとしても好ましいもので、普段ならキスのひとつやふたつ返すのだが、昨夜までろくに眠れていなかったためか、睡魔に勝てる気がしない。ローガンも普段ならウェイドの反応がないと分かると眠りに身を任すのだが、今夜は不思議と熱のこもった指がするすると動いている。
「ピーナッツ、おれ、こんやはできないよ」
すでに舌が回っていない。しかしローガンは正しくウェイドの言葉を汲み取ったようだ。知ってる。とウェイドの耳元で囁いた。そのまま耳裏に口付けられる。
ちゅ、ちゅ。と軽い音を立てて、ローガンの唇がウェイドに触れる。男の指がウェイドの身体をゆるりと撫でる。
「……もしかして」と、ウェイドはやはり舌足らずな口調で言った。
「むらむら、してた? ねれないなら、おれのこと、つかってもいいよ」
「それは必要ない」
食い気味の返答だった。
「ただ」とローガンは続ける。
「ムラムラしていたのは当たっている」
ローガンの手がウェイドの腹の前で組まれ、一瞬だけ力を込められた。
「お前が俺の裸に反応しないことに、気落ちしたくらいにはな」
夢うつつに、トイレで一発ヌイてくる。と言った時のローガンの表情を思い出す。ウェイドのあの性欲は心理的な不安定さ由来のもので、処理でしかなかった。だからローガンもあの表情ひとつで終わらせたのだろう。その事実が今更ながらに妙におかしく、不思議と嬉しさが湧き上がってきた。何か言ってやりたい。けれどもう、振り返ることすらできない。
夢の中でウェイドは笑った。腹を抱えて大笑いしたかったが、どうしてか出来なかった。
ローガンに抱きしめられていたからかもしれない。
「あした」
もう言葉になっているかはわからなかったが、夢の中でウェイドはローガンに告げた。
「明日になったら、朝から晩まで好きなだけしよっか」
言いながら、先程見たローガンの裸を思い出して、明日の朝シーツを洗う羽目になったらどうしよう。と夢の中のウェイドは騒いでいたが、しかしそれは言葉にならないまま。
読書灯の明かりの消された寝室に、ウェイドを抱きしめるローガンの熱と、二人の約束だけが残されていた。