溶鉱炉から愛を込めて




 ウェイド・ウィンストン・ウィルソンは、二〇八本の骨を持っている。世界の危機とヒーリングファクターによって頻繁に数を変える彼の骨は、ここ数日、その本数で落ち着いていた。二〇八本のうち二〇六本は彼のもので、ゴシップガールを観るともう一本増える。そして最後の一本は、ウェイドの中指の先端に癒着していた。
 左手の中指だ。
 罵倒と共に天に突き立てる指であり、手を伸ばした時、最も遠くまで届く指でもある。その指に癒着した骨は、誰のものでもなかった。少なくとも、今は。元の持ち主は死んでいるし、ウェイドは他人の骨なんて欲しくない。それなのに彼が第二の中指の先端の骨を持っているのは、あるアースの消滅の危機に関係があるからだ。
 仰向きのまま、黴臭いベッドの上であくびを溢したウェイドは、ぐるりと部屋の中を見渡した。窓からは朝日が差し込んでいる。そして枕元に置かれたデッドプールのマスクを被った彼は、誰もいない部屋の天井に目を向けると、視線を一点で止めた。
「あー。ダメダメ。それ以上引いたら見えちゃう。何がって? 分かるだろ」
 彼は第四の壁の向こうへ告げた。画面にはウェイドの腰から上と、グローブを付けた左手が映っていることだろう。裸の身体とグローブを付けた左手だ。黒いグローブの生地は左手首から下が溶け落ちていて、その他はマスク以外何もない。
 ウェイドは起き上がると、ため息をついた。
「オーケー。分かってるよ。俺だって別に裸を見せつけたい訳じゃない。下手すりゃレーディングを上げなきゃならないし、セックスする相手にだって、急に見せたら心を傷つけることがある。でも気の効かない俺の相棒とTVAは、この身体が治っていくことに注目しすぎて、俺が変質者になる可能性を全く考えちゃいなかった。馬鹿だろう? よって、俺ちゃんは悪くない」
 そう言って、ウェイドはグローブを勢い良く引き抜いた。抜け殻になったグローブは、一瞥もされずに床に捨てられる。出てきたのは全身と同じく瘡瘍のある左手と、中指に癒着した小さな骨。朝日を浴びて鈍く光る骨は、明らかにリン酸カルシウムとタンパク質を主体として出来たものではない。金属でできた骨だ。
 アダマンチウムでできた骨だ。
「マーベルにどれだけアダマンチウムの骨格を持つやつがいるか知ってる? ウルヴァリンにその変異体。あとは映画にも出てきたセイバートゥース。骨だけならそいつらから磁石で引っこ抜かなくても、小道具さんに頼めば作ってくれる。脅しても良い。でもこれは正真正銘ウルヴァリンの骨だ。それも、このアースのウルヴァリン」
 ウェイドは躊躇いもなく癒着した骨を自分の指から引き剥がした。血が飛んで、小さな悲鳴がウェイドから上がる。思ったより痛かった。と舌打ちを溢した彼は、血や皮膚や肉がこびりついた骨の表面を指で拭うと、朝日に掲げた。
「見える?」
 そこには名前が刻んであった。ヒュー・ジャックマンでもライアン・レイノルズでもない。
 ウルヴァリンの名前が。
「いくらウルヴァリンでも骨の一本一本にまで自分の名前を刻んでるわけがないって? そりゃそうだ。これは俺ちゃんが刻んだんだから。何故かを説明するには少しだけ時間を貰わなきゃならない。俺ちゃんが別のアースのアンカーになって、最終的に左手首を残して全裸になった話だ。早く聞きたいとは思うけど、まあ待て。……もう少し」
 ウェイドは部屋の扉に目をやった。足音が聞こえていた。重いそれは部屋の前でぴたりと止まり、扉が開かれた。
「ウェイド。着替えと食事を持ってきたぞ」
 現れたのはローガンだ。ぱんぱんに中身の詰まった紙袋を抱えている。
 その姿を見て、ウェイドは第四の壁の向こうへ手を振った。
「回想の後に、また」

     ✴︎

 ウェイドがその依頼を受けたのは、なんでもない日のことだった。天気は良く、部屋の掃除はしたばかりで、洗濯物も溜まっていない。朝食は散歩ついでに済ませており、シンクにあるのはマグカップのみ。どこかへ行く予定もなく、誰かに会う約束もない。そんなまるで見計らったようなタイミングで、TVAから依頼が来た。あるいは実際に監視して、タイミングを見計らっていたのかもしれない。TVAがどこまで何を観測しているのか、ウェイドが知る由もないが、碌でもない組織である。目的を達成するために、そのくらいのことはするだろう。
 しかしTVAと、自ら契約しているのはウェイドだ。
「アンカーを失ったアースで、ミュータント達の記録の入ったデータチップを手に入れて来て欲しい」
 そう言われた時、真っ先に湧いたのは興味だった。かつて『ローガン』を失ったこのアースのように、滅びへ向かうアースが存在する。それもTVAの予測では、数年後に消え失せる。アンカーが死亡して三百年ほどが経っており、新たなアンカーが現れる気配がない。と。
 TVAが先のないアースを気にかけるのも珍しい。ウェイドがそう告げれば、「事情があり定期観測を続けていたが、いよいよ綻びが目に見えてきた。消滅の前に、せめて価値ある情報と資源を回収することが決まったのだ」と返ってくる。
「その事情って?」
「セキュリティクリアランスレベルが未達。教えられることはない」
 その答えに、ウェイドは大袈裟に天を仰いだ。
「守秘義務ってわけ? そんなことで俺が依頼を受けると思う? 観客が見たいのはヒーリングファクターを持つ俺のピンチだ。予測が適切でなかった。とかいって、コーラとポップコーンを楽しみながら、大画面で世界と俺ちゃんの消滅を眺めようって魂胆じゃないの?」
「そう思うのならこの依頼は引き受けずとも良い。ただ、これだけは教えておく」
「何を?」
「目的のデータチップの製作者について」
 ウェイドはデッドプールのマスクの下で、片眉を上げる仕草をした。嫌な予感がしたからだ。
「データチップの製作者は」
 TVAの制服を纏った「それ」は、嫌味ったらしい程一文字一文字を噛み締めるように、その名前を告げた。
「プロフェッサーX」
 あるいは、チャールズ・エグゼビア教授。
 今は亡き彼が、テレパス能力により集めた記録。
『デッドプール』は引き攣った笑いを溢した。
「チャールズがあんたらの為に情報を残したとは思えないんだけど」
 彼の言葉は、しかし相手を素通りする。
「持ち主が不在ならば、TVAにも所有権はある。誰の手に渡るか、かのエグゼビア教授にも予想はできなかったはずだ。当時の状況は彼らにとってあまりにも不利であり、希望的観測は可能な限り省かれた。最も高かったのは、誰の手にも渡らず失われること。あるいは壊されること。彼が死亡した当時のミュータント、あるいはミューテイト達の技術の粋を集めたとはいえ、永遠に壊れないデータチップはありえない」
「それ、俺ちゃんに言う?」
 デッドプールは笑みを浮かべて首を傾げたが。相手は構わず話し続けた。
「なんにせよ、我々は彼の残した情報を確保し、然るべき手段で保存すべきと結論付けた。TVAはあなたにその任務を依頼したい」
「あーもう。ほんっと人の話を聞かない組織だな。いーよ。受ける。ただ俺がそれを持ち逃げしたり、壊したりしても文句は言わないこと。これが条件。いい?」
「構わない。現在、我々がこの仕事を依頼できる存在は二名しかおらず、もう一名は不適切だ。あなたであっても成功確率は低い」
「ああそう。で、データチップのある場所は? いつから行けば良い?」
「あなたの準備ができているならいつでも。場所は恵まれし子らの学園」
「まーたあそこか。他に選択肢ないの? 予算の関係? なら仕方ないか。成功報酬は?」
「こちらを」
 差し出されたモニターをウェイドは見た。
「前金は半額。口座は登録されたものを使用。他に質問は?」
「そうだな。特にないけど、あんたの型番は?」
「アールツーディーツー」
 一瞬、沈黙が両者の間を支配した。
「おっと、縦書きのせいで反応が遅れた。そんなことあるはずないだろ!」
 ウェイドはホルスターから引き抜いたイーグルで、目の前のロボットの頭を殴り付けた。コードがぶちぶちと切れて、まるでボールのように機械の首が飛んでいく。
「あー! くそっ! ふざけやがって! 似ても似つかないロボットに同じ型番付けてんじゃねえ! 最初にたくさん殺したからって連絡にも適当な機械使いやがって! 年々精巧になってくのが腹立つ! こういう説明にはちゃんと来い責任者!」
 腹いせに三発銃弾を撃ち込んで、ウェイドはひとつ息を吐いた。
「まあ良いや、さっさと終わらせてクソして寝よ」
 そうひとりごち、ウェイドはタイムパッドを操作すると、光る扉の中へと入っていった。


 光る扉を抜けると、そこは解体現場であった。
「は?」
 思いもがけない光景に、ウェイドの口から間抜けな声が出た。見慣れた、そして記憶よりずっと古ぼけて廃れた『恵まれし子らの学園』が、今まさに重機で解体されていたからだ。
 思わず息が止まる。心臓が跳ねる。次の瞬間には、電気信号が脳を介さず身体を動かしていた。
「ひっ!」
 油圧ショベルのアームがアダマンチウムの刀によって切り離される。支えを失ったアームが重力に従って地面に落ち、しかし重機のオペレーターが悲鳴を上げたのは、今まさにアームが自分の方へと倒れてくるからではない。
『デッドプール』の視線に射抜かれたからだ。
「ミュータントだ!」
 誰かが叫んだ。同時にアームが操縦室へぶつかり金属が潰れる鈍い音がする。オペレーターの千切れた腕が、ポンと宙へ飛んでいった。
 その光景を横目に、デッドプールは首を回しながら重機達の前に進み出た。
「あーなるほど。チャックが死んだからここがお払い箱になったってわけか。でもX-MENの希望で取り壊されるわけじゃなさそうだしミュータントすら関わってなさそう。おい! そこのスーツ着たオールバック!」
 デッドプールは自分を遠巻きに眺める者達に目を走らせると、その中から一人を指差した。
「そうあんた! あんたこの件の監督者だろ? いかにも権力に媚びへつらって自分の昇進しか考えてなさそうなツラしてる。誰の依頼でこんなことしてんの? 天国のチャールズの許可は取れてる? もしくは他のX-MEN」
「X-MEN、だと?」
 人々の呆気に取られたような表情が、X-MENの名前で一変する。漣のようにざわめきが広がって、感情が伝播し変化した。
 恐怖、絶望。そして憤怒へと。
 叫びが上がった。
「馬鹿を言うな! 私達がどれだけ苦労させられたと思ってる! X-MEN? ミュータントの権利の保護と人類との共存などという馬鹿げた思想に取り憑かれ、出来もしない理想を掲げた奴らだ! 何も残せないどころか世界を荒らすだけ荒らしてこの世を去った! 学園の取り壊しは国の決定だ! あいつらは今頃天国どころか地獄で業火に焼かれてるだろうよ!」
「わーお。馬鹿げたって言った? わかった。あんたは死んで良い」
 デッドプールのイーグルが、相手の眉間を撃ち抜いた。血と脳漿が飛び散って、そこかしこから悲鳴が上がる。
「まあ物語には悪役が必要だよね。ほんとは俺ちゃんこういうの向いてないんだけど。もっと派手で奇抜でパッと殺して配給はA24を希望。でも二十世紀フォックスを買収したのはそこじゃない。ディズニーは失敗だった。この手の話なら俺の活躍はナレーションで終わらせて、あとはウルヴァリンの感動物語でもやっとけっての。ったく」
「ウルヴァリン?」
「ん?」
 自分達が殺される可能性にようやく思い至ったのか、学園にいた者達が逃げ惑う。そんな中、デッドプールの独り言を聞き咎めた者がいた。デッドプールは声のした方へ目を向けた。そこには唇から過呼吸も間近という荒れた息を漏らし、立ちすくむ者がいる。
「おいおいどうした? 気絶でもする?」
 一歩、デッドプールが大股で近付く毎に、ウルヴァリンの名を聞き咎めた者の足が後退する。しかし歩幅の違いによって、すぐに息さえ触れる距離まで近づいた。
「い、」
「人を指差すなって。銃を突きつけられたいのか?」
 デッドプールは銃口を相手の額に押し付けた。その瞬間、もう耐えられないとでも言うように、相手の悲鳴が上がった。
「い、いま! 今、こいつ、ウルヴァリンって言ったぞ!」
「は?」
「なんだって!?」
「あ?」
 叫び声に反応し、動揺が感染する。先程X-MENの名前を出した時の比ではない。悪魔か地獄を目にしたような騒ぎとなった。デッドプールは頭にクエスチョンマークを浮かべながら引き金を引いた。逃げ出した相手の心臓から血が吹き出す。
 誰かが言った。
「なあ! 赤いマスクのミュータント! あいつ、もしかしてウルヴァリンが消えた時の!」
「あの時の!? やっぱりこの学園に手を出すべきじゃなかったんだ!」
 あちこちで介される会話もどきを聞きながら、デッドプールは手際良く人を殺していく。
「なあ! あの時ってどの時? 俺ちゃんさっきこのアースに来たばっかりだから過去のこと話されてもわかんにゃい」
「ひい!」
 最後の一人の逃走経路を予測して先回りすれば、デッドプールの身体にぶつかった相手が吹っ飛んだ。そして運悪くコンクリートの破片に頭をぶつけ、赤い血を飛び散らせる。
「あ」
 一、二度大きく痙攣した相手が動かなくなった。
 デッドプールが足先で突いてもピクリともしない。
「なんてこった」
 マスクを取って、まるで初めて人を殺めた犯罪者のように、呆然としながらウェイドは言った。
「殺しちまった」
 今更なことだった。


 殺してしまったものは仕方がない。ウェイドは複数の死体を漁り、適当な上着と帽子を剥ぎ取った。ついでに財布も抜いてポケットへしまう。最初に殺したオールバックの死体から、高級車の鍵も発見した。車は解体現場の近くに停めてあったので、ウェイドはそれを使って一度学園を離れることにした。
 時刻は昼の十二時を回っている。最初に発見した中華屋で、ウェイドはテイクアウトのチャーハンを買った。広東語の飛び交う店はウェイドの知らない店だ。その店だけではない。しばらく車で行ける範囲を回ったものの、彼の知っている店はほとんどなかった。辛うじて、知った店名の小さな古本屋が存在した。気難しい店主が一人で切り盛りしている店だ。あまり長居すると文句を言われるので、ウェイドはさっと目的の情報が書いてありそうな本数冊と、ついでにコミックを一冊買った。
 パトカーがウェイドの横を通り過ぎていく。
 ウェイドは車の中で冷めて油っぽくなったチャーハンを食べ、学園へと戻った。
 そして本を小脇に抱え、デッドプールのマスクを被ると、半分解体された学園の中へと入る。
 気が付いてはいたが、学園はもう随分と長い間使われていないようだった。それどころか手入れもされていない。解体されていない部分も経年劣化で外壁が剥がれ、窓ガラスが割れ、雨漏りの跡が付いている。
 ウェイドは知らずため息を吐いた。ウェイドの知る学園には、多くのミュータントやミューテイトの出入りがあった。各部屋には一輪挿しに飾られた名も知らぬ花や、ウェイドが持ち込んだローガンの名場面フィギュアまで、彼らの持ち込んだ物が置かれていた。
 しかし今は、触れれば崩れるカーテンや、埃を被った棚の中に、知らない住人の名残があるだけだ。
 ウェイドは窓ガラスの割れていない部屋を見つけると、その部屋で買ってきた本を読むことにした。ギシギシと音を立てる椅子を並べ、一脚に座って残りの椅子に足を上げる。
 まず手に取ったのは、ハイスクール向けの歴史の本だ。
 巻末に付けられた年表で主な出来事を把握する。すると僅かなズレがまるで決定的な分岐をもたらしたかのように、知らない歴史が始まっていた。
 そこにはウェイドの知らないアメリカの内戦が書かれていた。
 人類とミュータントの戦争だ。
 突如現れたミュータントによる『侵略』から始まった内戦は、人類側が勝利した後、生き残ったミュータントによる人類の虐殺が行われたことも書かれていた。年表から目を離し、ぱらぱらとページを捲る。見覚えのある顔に手を止めれば、ミュータントを止めようとし、死んだアベンジャーズの一員の名前が書かれていた。
 ウェイドは唇を撫でた。どこかで水を探してこようかとも思ったが、文字を追うことを止められない。
 知りたい部分だけをざっと読み、次の本に手を伸ばす。他の本も、書いてある内容の濃淡に違いはあったものの、年表だけは変わらなかった。人類、あるいはアメリカという国から見たミュータントの歴史は、彼らが突然現れた時から始まった。そして人類と戦争を起こしたことでほぼ絶滅し、終戦から二百年後、国内最後のミュータントが消えたことで終わっている。
 今から百年前のことだ。
 ウェイドは息を吐くと、最後にコミックを手に取った。ローラがまだアルとウェイドの家に居候していた頃に好んでいた話であり、彼女がX-マンションへ移り住んだ後も所持していた本だ。
 人類とミュータントが共に世界を救う話である。
 アニメ化や実写映画化もしている人気作だが、ウェイドは最初の数ページで眉を顰めた。
 思わずタイトルを確認した。表紙が違うのは良くあることなので気にならなかったが、タイトルが同じだけで内容が全く違う。
 世界を救うチームには人類しかいない。世界の危機はミュータントによって起こり、敵でありミュータントであるヒロインは、最終的に科学の力によってX因子を失って、人類に生まれ変わるのだ。
「つまんにゃい」
 ウェイドはコミックを投げ捨てた。
 そのまましばし天井を見つめていたが、夕日が山の端にかかり始めた頃、ウェイドは武器を携え地下へ行くことにした。そこにはX-MENの本部がある。入口がウェイドの知る場所と変わっていないかが心配だったが、同じ場所にあった。
 ただ、鍵の形が違う。おまけにどう見ても生体認証だ。ウェイドは迷った。TVAとの付き合いも長くなり、厄介な依頼も受けてきた。故に別のアースの知らないシステムでもクラッキングが出来ないとは言わないし、その気になれば物理的に破壊も出来る。しかしどういったシステムでどのような素材を使っているのか。知っているのと知らないのでは、時間と手間が段違いだ。
 十分に考えた後、ウェイドはシステムを起動した。一、二度死ぬかもしれないのは承知の上だ。
 しかし起動したシステムは、ウェイドの全身をスキャンした後、タッチパネルに触れるよう指示をした。
 ウェイドは言った。
「IDとパスワードの入力は? いらない? 俺ちゃんここでこんなに歓迎されたの初めて。なんなら元のアースでだって、勝手に入ってローガンが着てたのと同じパーカー盗んでコロッサスに怒られてるからね」
 言いながら、タッチパネルに触れた。
 触れた途端に、パネルが青く光り出す。
『解析。X因子を確認。保護対象と認定。ゲートを開きます』
 古い機械特有のラグを挟み、ギ。と鈍い音を立てて扉が開く。現れたのは無機質な金属の壁と床。しかしウェイドの記憶とはズレがある。その違和感に、ウェイドは顔を顰めた。
『ここはX-MEN本部』
 聞こえてきた声に、ウェイドはハッとして顔を上げた。しかしすぐにそれが録音された音声だと気が付いた。辺りを見回してもどこにもその声の主はおらず、頭の中に響くこともない。
『我々は君を歓迎しよう』
 ウェイドは一歩、本部へと足を踏み入れた。
 本部の中は奇妙なほどに清潔だった。ネズミどころか虫の死骸の一つもない。やがてその原因は自動環境整備システムが生きていることだと気付き、ため息を吐く。
「もし俺がここで死んだら、ゴミとして処理されるのかな」
 記憶が飛んでる間にダストボックスに詰められたらどうしよう。そんな独り言を言いながら、ウェイドは天井に話しかけた。
「なあ! 地図か何かない?」
 言えば、小さな音と共に壁に設置されたパネルがパッと光った。
『音声案内を開始しますか?』
「いらない」
 画面を見れば、見取り図らしきものが映されている。パネルが脱着可能であることに気付いたウェイドは、早速手のひらより一回り大きなパネルを取り外し、指でくるくると見取り図を回し、拡大し、また縮小した。
「倉庫、書庫、武器庫、食糧庫……。誰だワインセラー作ったの」
 独り言に答える者は誰もいない。この本部に足を踏み入れて十数分しか経っていなかったが、もうすでにウェイドは気付いていた。この本部は『一人』でも暮らせるようになっている。
 子供や、車椅子に座った者の手にも届く位置に設置されたタッチパネル。壁に貼られた矢印や部屋の意味を知らせるマーク。操作する者がいなくても動き続ける環境整備システムに、ここへ入り込んだ者の質問に答える自動応答システム。
 そして何より、X因子による保護対象の選別。
 人類史だけを見てもわかる。このアースのアメリカのミュータントは、人間にとって憎悪の対象でしかなかった。故に保護する場所が必要だったのだろう。X-MENが消えた後も。なにせウィリアム・ストライカーやドナルド・ピアースが偉人として歴史に残るくらいの場所だ。ミュータントとという憎悪を向ける相手が国内からいなくなったことで、その評価も見直されつつあるようだが、当時が碌でもない状況だったのは見なくてもわかる。
 歩きながら各部屋を確認する。倉庫は雑多な物が詰め込まれ、書庫には論文や医学書だけでなく、子供向けの教科書や娯楽書、点字の本や音声データも一通り揃っている。武器庫は言うまでもなく、食糧庫は各種瓶詰と缶詰、かつては何か野菜が育てられていたのだろう跡があった。ワインセラーのワインは年代物で、さらに全て状態が良い。その為タイムパッドを起動し、一旦元のアースに戻って貯蔵できるだけ貯蔵した。
 一本一本銘柄と年代を確認しながらワインを運び終えると、全ての仕事が終わったような気持ちになる。しかし実際のところは何も終わってはいない。
 ウェイドは伸びをすると、渋々。といった様子で、通り過ぎた部屋に戻った。
 その扉周りには小さな跡が付いている。ゴムの色が付いただけのそれは、車椅子によって付いた跡だ。
 ウェイドは上着を脱ぎ捨て、武器類をチェックすると、マスクを被って息を吸った。
「チャーック! ここ開ーけて!」
 まるで友達を遊びに誘いに来た子供のような呼びかけに、反応したのはチャールズではなくシステムだ。
『解錠します』
 機械音と共に扉が開かれる。パッと電気が付いた。ウェイドは部屋の中を見て、一歩足を踏み入れたかと思うと、上体を後方へ逸らし、廊下の向こうを見つめた。
 正確には、第四の壁の向こうを、だ。
「そろそろオチがわかって飽きてきたと思うけど、ゲームでも探索パートは一番重要。宝が見つかったら後はラストスパートをかけるだけ。もう少しの辛抱だ」
 手を振って、今度こそ部屋の中に入る。
 小さな部屋にはベッドと本棚、そして間接照明とデスクがそれぞれ邪魔にならない距離で配置されていた。
 ウェイドは机の上に目をやった。
 そこには小さな四角形のデータチップが置かれている。
 ウェイドは手を伸ばし、引っ込め、また手を伸ばし、指先が触れそうになった瞬間に弾かれたように手を宙に上げた。
「あー。嫌な予感がする」
 傭兵として数々の修羅場を潜り抜けてきたが故か、あるいはTVAと契約してから厄介な仕事ばかりを割り振られていたからか、ウェイドの危険察知能力は年々精度を上げていた。
 触れたくない。なんなら今すぐTVAをここに呼んで回収させたい。だが万が一、目的のデータチップでなかった場合は嫌味と小言を言われてしまう。それくらい屁でもないが、腹が立つのは事実であるし、TVAにデータチップを渡せば中身が確認できなくなってしまう。
 ウェイドはひとつ深呼吸をし、己の頬を叩いた。
 今度こそ覚悟を決めて、手を伸ばす。
「デップー、行きます」
 ウェイドの指先が、データチップに触れた。


 気が付けば、ウェイドは床に倒れていた。
 喉に何かが絡んでいる。マスクを取って咳き込めば、床に唾液混じりの血が飛んだ。口からだけではなく、鼻からもボタボタと血が落ちてくる。
「あー。くそっ。脳の血管何本かイッた。チャールズめ。俺じゃなかったら殺してるぞ」
 続けて口汚いスラングを吐き出すが、耳に届いたのは獣のような唸り声だ。指先が震え、視界が妙に狭まっている。まだ脳が修復を終えておらず、意識に体がついていっていないのだろう。
 ウェイドは震える上半身をなんとか起こし、壁に己の身体を預けた。
 目を閉じれば身体中の切れた血管が、接合される音がする。もう一度、ウェイドはスラングを吐き出した。
 うっすらと開いた目に、床に落ちたデータチップが映っている。
 あのデータチップに触れた瞬間、頭に情報が流れ込んできた。急なことに処理が追いつかず、脳がオーバーヒートし危険信号を全身に巡らせた。心臓が早鐘を打ちデータチップから手を離そうとしたものの、それより早く脳が限界を迎え、血管が切れて処理落ちをした。
 おまけに倒れた際に鼻の骨も折っている。ウェイドはもう一度血を吐き出した。
「食糧庫で水取ってきて良かった」
 ポーチから水筒を出し、一口飲み込む。血の味しかしない。それでもしばらく休んでいれば、徐々に視界が広がっていき、体の震えもなくなった。
 ウェイドは立ち上がり、データチップを拾い上げる。もう情報は流れ込んでこなかった。あれは一度きりの、チャールズの祈りであった。世界最強のテレパス能力を持つミュータントが、無意識のうちに溜め込んだ未来への切望が見せた記憶であった。
 掌の上のデータチップは小さなものだ。これをTVAに渡せば仕事は終わる。
 そう分かっていてもウェイドは動き出すことが出来なかった。ぼんやりとしていれば、携帯端末に連絡が入る。
 TVAの依頼を受けるようになってから、ウェイドの携帯端末はTVA特製のものに変わっていた。どこのアースにいても登録された端末からの通信は受け取れるようになっている。
 ウェイドは携帯端末を取り出すと、何件か入っていたメッセージは無視をして、着信ボタンを押す。
 するとホログラムが立ち上がり、ウェイドとも顔馴染みのTVA職員が現れた。
「ミスターウィルソン」
「お久しぶり。機械越しでしか話ができない礼儀知らずが何か用?」
「そのことについては説明さえしっかりできれば問題ないと考えています。それよりも、ミスターウィルソン。驚かないで聞いて欲しいのですが」
「何?」
 嫌味も通じないかと溜息を吐き、ウェイドはデッドプールのマスク越しに片手の小指を耳に入れるジェスチャーをした。不遜な態度だが、TVA職員はそんなことを気にせず口を開いた。
「あなたがそのアースのアンカーになっています」
「はあ?」
 思いもがけない言葉だった。
 流石のウェイドも、この言葉には目を見開いた。思わず耳を疑い、本当に耳垢が詰まっていないかとマスクを脱いで耳に触れた。
「今、なんて言った?」
 ウェイドの問いかけに、職員は噛んで含めるように先程の言葉を繰り返した。ゆっくりと、目でも読めるように口の形をはっきりと作りながら、大きすぎず、小さすぎることもない声で。
「ですから、ミスターウィルソン。あなたがそのアースのアンカーとなっています」
「なんでそんなことに」
 ウェイドは息を飲んだ。アベンジャーズに憧れ、過去にはヒーローとなることを望んだデッドプールだが、何度も世界や命の危機に晒されるうちに、その欲も鳴りを潜めていた。職員の視線がウェイドから逸らされる。
「正確には『その情報』を持ったあなたが。です」
 視線を追って、ウェイドは己の手を動かした。いつに間にか握りしめていた拳を見つめ、指を一本一本開いていく。そこに現れたのは、淡く青に光る回路の刻まれたデータチップだ。ミュータントの、ミュータントにより作られた、ミュータントのためのデータチップ。
 TVAの依頼により、ウェイドが『消えゆくはずだった』アースから手に入れたもの。
「それってつまり」
「あなたがそのデータを手放せば、そのアースは予定通り消滅します。しかしあなたがそのアースにいれば、消滅を免れる」
「元いたアースに帰れないってこと?」
「いいえ。あなたには元のアースに戻ってもらう必要があります。先程も言った通り、アンカーは情報を持ったあなたであって、あなた自身とは言い難い。アンカーとしては不安定で、元いたアースを危険に晒すほどの価値はありません」
 職員は言い切った。同時にウェイドは顔を顰めた。
「このアースが終わるのを、放っておけってこと?」
「最初からその予定でしたから」
 職員の言葉に抑揚はない。確かにウェイドも、依頼を受けた時はこのアースを救うつもりなんて露ほどなかった。
 そもそもデッドプールが過去、自分と大事な人たちの暮らすアースの危機を防ぐことが出来たのも、ウルヴァリンという最高の相棒と、マドンナの曲があったからだ。
 しかし今回の依頼を受けたのはウェイド一人。マドンナの曲を流す音響もない。
 おまけにウェイドのアースには大事な人たちがいて、その人達のことを思えばこのアースにずっと居たいとも思わない。
 それなのに。
「今回の報酬を変えたいんだけど」
「はい?」
 ウェイドの口は、いつの間にか動いていた。
「だから、今回の報酬内容を変えたいって言ってんの。欲しいのはアダマンチウムを僅かでも削ることの出来る機械。この刀はあんたらが作って研いでるんだから出来るだろ? 持ち運べなくても良いし、TVAにある機械の使用許可でも良い。もし今回の報酬で足りなかったら次の依頼報酬にもツケといて。余ったら予定通り登録されてる口座に入金」
「削る程度でしたら可能ですが、何をするつもりですか?」
 TVA職員の表情が怪訝そうに歪むのを見ながら、ウェイドはタイムパッドを操作した。光る扉が現れる。
 そしてデータチップをポーチに入れると、ウェイドは言った。
「遺言執行」


 まさか二度目があるとは思わなかった。
 そう考えながら、ウェイドはノースダコタでスコップ片手にお茶を飲んだ。お茶は先程会ったローラが淹れてくれたものである。マグカップにはアドベンチャー・タイムのマーセリンとプリンセスバブルガムが描かれていた。
 暖かいお茶を飲み干すと、ウェイドはスコップを地面に刺した。以前埋め直した『ローガン』の骨を、再度掘り起こす為だった。今のウェイドには、彼の骨が必要だった。
 チャールズの望みを叶える為に。
 ウェイドの頭に流れ込んできたチャールズの記憶。それはチャールズが関わったミュータント達の記憶だった。人類ではないという理由で、公的な記録からも消された一人一人の名前、顔、生きていた証。
 チャールズはそれらがどんな形でも、僅かでも後世に残ることを望んでいた。
「墓標、か」
 ウェイドはひとりごちた。彼らの為に、ウェイドが選んだ墓標がアダマンチウムで出来たローガンの骨だった。アダマンチウムならば多少のことでは消失せず、ローガンの骨ならば所有者もいない。一瞬、自分の刀を手放すか、あるいは全員の名前を記録出来るほどのアダマンチウムをTVA経由で用意しようかとも思ったが、アダマンチウムは希少だ。刀は二度と手に入らないだろうし、手に入れるには金がかかる。
 そこまではウェイドでも付き合いきれない。
 そもそもウェイドは、本来ならばいくら記憶を見たとはいえ、会ったこともない別のアースのチャールズの為に、墓標を作るような性質ではない。
 確かにあのアースはミュータントと人類の共存が果たされず、ミュータントは人類を脅かす敵とされていた。人類側の被害はどんなものでも記録される一方で、人類によるミュータントへの差別や迫害は全て公的な記録から削除された。
 理不尽であると思った。
 けれどそれだけだ。
 それだけだのに、残したいと思った。
「もうみんな、ずっと前から気付いてるよね」
 ウェイドは地面を掘り進めながら四の壁の向こうに語りかけた。
「答え合わせだ。俺ちゃんがさっきまでいたアースはローガンのアース。ローガンって言っても、今、俺が骨を掘り返してるローガンじゃない。俺ちゃんが連れてきた『最高』のウルヴァリン。最高のローガンのアース」
 はは。とウェイドは笑った。
「趣味が悪い」
 ウェイドの突き刺したスコップが、金属音を立てた。骨に当たったのだ。先端が折れたスコップを放り投げ、しゃがんで手で泥を払えば、金属の光が目に入った。
「お久しぶり」
 ウェイドはそう告げて、ローガンの骨をあらかじめ用意しておいた袋の中に投げ込んだ。ちなみに骨を掘り出し墓標として使うことは、ローラに許可を取っている。彼女はウェイドの提案に、全く反対しなかった。
「何度かアダマンチウム目当てのヴィランに墓荒らしされてるし、いちいち取り返しに行くのもウンザリしてたから、そういう理由で使うなら良いよ」
 そうローラは笑った。思えばウェイドが墓を暴いたことを知った時も、驚きはしていたがショックは受けていなかった。「ずっと虚無にいてお墓参りどころじゃなかったし、私が全部覚えていれば良いって思ってたから」と。
 ウェイドはしんみりしつつ、その言葉に甘えることにした。
 全ての骨を袋に入れ、ウェイドはTVAに足を運んだ。待っていたのはやはりと言おうかロボットだった。彼らにデータチップと骨を渡し、名前をひとつひとつ確認しながら骨に刻んでいく。ロボットはついでのようにどこの骨かも教えてくれた。ほとんどの名前は適当な部位に入れてもらったが、チャールズの名前は頭蓋に刻んだ。
 チャールズはありとあらゆる地域のミュータントと交流があったようで、刻まれる言語は様々だ。英語が一番多かったが、中にはオロモ語やサーミ語といった少数言語も存在した。ウェイドには発音の難しい名前も多数ある。
 コンピュータにより計算された位置、角度で全ての名前が骨の表面に収まるように刻まれていく。そして三分の二を刻み終えた時、ウェイドは不意に気が付いた。
「あー。ストップ」
 ウェイドの言葉にロボットは作業を止めた。
「問題が?」
 ロボットの問いに、ウェイドは口を開き、閉じた。名前を刻むべきか迷ったのだ。なにせこれは墓標だ。死んでない相手の名前を刻むものではない。実際、流れ込んできたチャールズの記憶の中の彼は、他者の生きた記録の端に登場するのみで、名前や顔がはっきりと記録されてはいなかった。データチップにも記録は残っていないだろう。
 まだ死んでいない。
 死なないでくれ。という願掛けのように。
 それでもウェイドは、迷った末に口を開いた。
「もう一人、名前を増やすことはできる?」
 ロボットは無機質な声で可能であると答えた。ウェイドはロボットによって綺麗に並べられた骨の中から一本を選び、口を開いた。
「こいつに、ジェームズ・"ローガン"・ハウレットって刻んでくれる? できれば、ウルヴァリンってヒーロー名も」
 機械はやはり可能であると答え、受け取った骨に名前を刻んだ。


 墓標を手に、ウェイドは再度消滅へと向かうアースへやってきた。赤いスーツに白く大きな袋を手にした姿はまるでサンタクロースのようだ。
 しかしやっていることはサンタクロースとはかけ離れている。
「そうでもないかもよ?」
 デッドプールは第四の壁の向こうに笑いかけた。同時に見えない画面を内側から割る勢いで、袋から出した骨を己に襲いかかる相手に投げつける。
「時期外れのメリークリスマス!」
 アダマンチウムの骨が相手の武装にヒビを入れた。
「ワオ。それってもしかしてヴィブラニウム製? 前はTVAの武装でも貫通したんだけど。あ、答えはいらない。喋っちゃうとあんたが誰か向こう側にも分かっちゃうから。変異体だったり別アースだったり、好きなキャラクターがおかしな変化をするのはもうたくさん! って層もいるからね。バレないんならバレないままが一番良い」
 デッドプールは喋りながら走り回る。袋の中身がガチャガチャと音を立てる。
「まあ分かるよ。俺ちゃんここに来た時うっかり何人か殺しちゃったから。あんたらにとっちゃ俺は敵。しかも殺した場所は嫌われ者のX-MENが住んでた場所だ。とっ捕まえて事情を聞きたいのはよーく分かる。俺ちゃんだったら死なない程度に痛めつけて、情報を引き出した後に殺してる。でもあんたらに付き合ってる時間はない」
 もう一本、今度は違う相手に骨を投げ付けて、デッドプールは言った。
「あんたらヒーローだろ! それ死んだ子供らの名前書かれてるから! 丁寧に弔っといて! してくれるだろ! 信じてるぜ!」
 骨が相手の武器を真っ二つにする。それを横目で見ながらデッドプールはタイムパッドを操作した。
「じゃ。バイバイ」
 投げキッスを送りながら、デッドプールは次の場所へと旅立った。


 誰にだって故郷はある。ウェイドは出来る限り近い地域にルーツを持つミュータントの名前を、同じ骨に刻むようロボットに頼んでいた。そしてタイムパッドを使い、彼らの故郷近くに墓標を運んだ。場所はウェイドが決めた。それは花が咲き誇る蕎麦畑であったり、朝日がよく見える山の麓であったりした。
 ウェイドとて、故郷が誰にとっても良いものであるとは思わない。彼らは人類から敵意を向けられ殺されたのだ。そうでなくとも帰りたくない場所はあるだろう。けれど墓標は彼らの名前を呼ぶことが出来る者のそばにあるべきだ。
 このアースでアメリカを初めとした大国は、ほとんどがミュータントと敵対すること、あるいは利用することを選んだが、一方で、ミュータントと共に歩むことを選ぶ人々もいた。
 ある種の文化圏では超自然的な能力を持った人々が生まれてくるのは当たり前と考えられており、またある国でミュータントは神からの贈り物と受け止められていた。そうした人々のもとへ逃げ延びたミュータントもいた。ウェイドは彼らに墓標を預けることもした。
 ワカンダもその一国だった。
「ハァイ! あんたがこのアースのブラックパンサー? アメリカに居てくれるなんて俺ちゃん感激。象の交尾に怯えずに会えるなんて思わなかった」
「ッ!」
 振り向きざまに振るわれた爪を、ウェイドは上体を逸らしてなんなく避ける。タイムパッドによってスイートルームに忍び込み、相手が部屋の扉を閉めた瞬間に、背後に降り立ってみせたのだ。
「おっと。流石にその爪は俺ちゃんでもご勘弁。ワカンダ製は下手に触りたくないから大人しく話を聞いてくれると助かるんだけど」
 両手を上げて敵意がないことを示すジェスチャーをするが、相手の視線は鋭いままだ。
「赤いスーツのミュータント……。報告は聞いている。先週『恵まれし子らの学園』に現れて市民を殺したと。……ウルヴァリンが消えた際に現れたミュータントと同個体か?」
「同じだけど、個体って言われると標本にでもなったみたい。ワカンダから奪われて、大英博物館で飾られてるヴィブラニウムの武器じゃないんだから」
 相手の目が僅かに見開かれた。
「なぜそれを」
「俺ちゃんマーベルの神だから」
 ウェイドが両手の親指を己に向けた。しかし相手が納得するはずがない。警戒は解かれず爪は突きつけられたままだ。
 ウェイドはひとつため息を吐いた。
「ここでローガンみたいに一発刺してくれるとヒーファクの説明も楽なんだけど。まあ良いや。これあげる」
 ウェイドは随分と小さくなった袋から、両手の爪と爪に結合した骨を取り出した。
「それは……」
「ウルヴァリンの爪と骨。死んだミュータントの名前入り。ほとんどがワカンダと周辺国にルーツを持つミュータントだけど、一部ウルヴァリンの友人達の名前も爪に入ってる。全員殺されてなかったことにされたか、凶悪犯として歴史に残ったやつら」
「なぜそんなものを」
「墓標だから」
 ウェイドは言った。何度も繰り返した説明だった。
「あんただってチャールズのことは知ってるはずだ。テレパス能力を使ってワカンダまでアメリカから助けを求めてきたミュータント。後年ただの人類がスーパーパワーを手に入れるための礎として、世界中から、それこそ白人もネイティブ・アメリカンも黒人も、その他人種性別年齢性的指向関係なしに集められて、実験体にされていた奴らを救おうとしたX-MEN。……つまりこのアースの超人血清はミュータントの尊い犠牲によって作られたってこと。そりゃ『くたばれアベンジャーズ』くらいのことは言いたくなるよね」
 向かい合った相手は爪を納め、ウェイドの手にした骨と爪に視線を落とした。
「プロフェッサーXのことは、私も聞いたことがある。その強力なテレパス能力で、ワカンダの本当の姿を知った者。己の死を見通しながら、最後までアメリカを離れずミュータントと人類の共存を諦めずに生きた者。……ワカンダは彼の呼びかけに答え、何人かの子供を国に受け入れた。
 僅かな躊躇いを見せた手が、ウルヴァリンの爪と骨を受け取った。
「……ウルヴァリンは死んだのか」
 その言葉に、ウェイドは小さくなった袋をポーチにしまいながら目を瞬かせた。
「え、ううん。生きてる。今頃酒でも飲んでんじゃないかな。最近会ってないけど酒飲んでるのだけは確実」
「では、腕を失って?」
「五体満足で元気だけど。あー待て待て。なんか勘違いされてる気がする。その骨と爪はウルヴァリンのものだけど、このアースのウルヴァリンのものじゃない。TVAのことは知ってる? 別のアースの知識は? 知らない? じゃあ神聖時間軸も、だよね」
 ウェイドは顎に手を当てて唸った。
「説明すると長くなるんだけど、俺ちゃんこの後も行く場所あるんだよね」
「そうか。では、次の機会に」
「いえ、その必要はありません」
「は、」
 疑問を口にする前に、ウェイドの胸元に衝撃が走った。視線を下に向ければ光る刃が突き出ている。ウェイドはひとつ舌打ちをした。
「ッ……! ドーラ・ミラージュの誰か? 名前は?」
「答える気はない! 陛下! お下がり下さい!」
「待て! やめろ!」
「陛下!」
 現れたワカンダの戦士は、眼光鋭く槍を引き抜いた。ウェイドの胸から血が吹き出す。
「惑わされないで下さい! 相手は市民を殺した殺人犯です。あのアベンジャーズが目を皿にして探したにも関わらず、尻尾を掴めず奇襲を許した。それどころか我々の目を掻い潜ってこの部屋に潜り込み、ドーラ・ミラージュのことまで知っている! その異常性と危険性を、あなたが推し量れずにどうするのです!」
「こんなにぐうの音も出ない正論聞くの久しぶり。ローガンもローラも随分前に慣れちゃって、カメオ出演者の一人や二人、死んでも怒らなくなっちゃったんだよね」
 デッドプールの軽口に、短槍が目にも止まらぬ速さで振るわれる。それをアダマンチウムの刀で受け、デッドプールはタイミングを見計らって刃先を弾いた。
 室内での戦闘で考えなければならないのは壁や天井との距離感だ。デッドプールによって弾かれた刃先がバターのように壁を抉る。ヴィブラニウム製でなければ刃の動きを止めることが出来ただろう。
 デッドプールは舌打ちを溢し、距離を取るため相手の腹に蹴りを入れる。しかし槍の柄で受けられた。相手はその勢いを殺さず一歩後退し、半身の姿勢で刃をデッドプールの脳天目掛け振り下ろす。
「脳天かち割りはレーディングが上がるっての!」
 すんでのところで刃を避ける。しかし僅かに間に合わず、右腕が付け根から落とされた。
「いッ……!」
 普通なら戦意喪失してもおかしくない怪我であるが、デッドプールは腕一本無くすくらいは慣れている。すかさず吹き上がった血を目潰し代わりに利用した。その躊躇いのなさにこそ、相手は戸惑ったようだった。僅かに確保できた時間を使い、デッドプールは左手で片方の刀を鞘に納め、地面に落ちる寸前の右腕と刀をキャッチする。もう一方の刀も素早く鞘に収めると、用無しとなった右腕を、大きく振りかぶって投げた。
「じゃあね!」
 デッドプールと相対した者は、大抵が不合理で己の身を顧みない戦いにこそ振り回される。ドーラ・ミラージュの精鋭とはいえ、主君を守りながらデッドプールの戦闘スタイルに慣れるには、あまりに時間が短すぎた。
「待てっ……!」
「俺の腕もおまけであげる! 陛下! ウルヴァリンの骨はあんたに任せた!」
「逃すか!」
「は?」
 窓を破った瞬間、聞こえた声にデッドプールは思わず呆けた声を出した。見れば、遠くの空から迫り来る影がある。背後からドーラ・ミラージュの戦士の苦々しい舌打ちがした。
「未知の相手を前に、応援を呼んでいないわけがないだろう」
 ワカンダの戦士が外部の者に協力を頼むと想定しなかったのはデッドプールの落ち度だ。パラシュートも何もなく高層階から落下し生き延びることができるのはヒーリングファクターの利点だが、同時に翼やジェットパックを持たないデッドプールは空中戦に不向きだった。
 しかしデッドプールには逃げる術がある。彼はタイムパッドを操作しようとして、出来なかった。
「あ、やばい」
 落ちながらデッドプールは呟いた。タイムパッドに大きな傷が入っている。先程の戦闘で、いつのまにか槍に切り付けられていたらしい。
「やっぱ観客が見たいのはヒーリングファクターを持つ俺ちゃんのピンチってわけね」
 迫り来る影にため息を吐きながら、ウェイドは壊れたタイムパッドを放り投げ、プライベート用の携帯端末を取り出した。染み付いた動作で短縮登録された番号の一番目を選択する。
 同時に飛びかかってきた相手に捕まるが、ウェイドは相手に一瞥もくれなかった。
 三回のコールの後に、留守番電話に繋がった。
「もしもし? 死にそう。迎えに来て」


 連れて行かれたのはいかにもな軍用研究所であった。遠い記憶の中にある、フランシスの研究所よりは清潔で、同じくらいには非人道的。
 そこでデッドプールがされたことは、大抵の人間の想像通りである。想像と違ったのは言い争う声が度々聞こえてくることだ。
『今は戦時中じゃない。ミュータントにも人権はある』
『彼が人を殺したことは事実だが、法によって裁かれるべきだ』
『あの骨に刻まれた名前はなんだ』
『こんな非道が、許されると思っているのか!』
 これらに対する言葉は、デッドプールの頭をすり抜けていったのでなかったことになっている。
 デッドプールはすでに自分が損なわれることは慣れっこだが、ヒーリングファクターは研究者を大いに喜ばせた。その隣で苦々しい顔をする若者を見て、デッドプールは考えた。ヒーリングファクターの耐久テストは見た目だけならグロテスク極まりない。故に正義感を持つ者が反発を抱くのは当然で、さらに過去、この国が子供に対しても人体実験を行っていたのは確定だ。ミュータントの能力は個々で違う。おいそれと実験結果は捨てられないはずだ。デッドプールへの実験に憤っている者が、何らかの手がかりを掴めば芋づる的にこの国の暗部が晒されるだろう。
 つまりここでのデッドプールは大作映画のマクガフィンだ。
 そう結論付けて、迎えを待つことにした。勿論、最後に残ったウルヴァリンの骨を失くさないようにすることは忘れない。
 そうしてデッドプールがこの研究所に連れて来られ、しばらく経った時だった。
 その日は朝からざわざわと研究所内が騒がしかった。興奮と緊張の混ざり合った空気が満ちている。デッドプールはそっとウルヴァリンの骨を取り出すと、己の口の中に隠した。
 デッドプールはすっかり顔馴染みになった研究者に聞いた。
「今日は何かあるの?」
「お前の耐久性を見たいと上から要望があった。おかげで朝から大忙しだ」
「へえ。誰が来るの?」
 答えはなかった。けれどデッドプールは続けて言った。
「お偉いさんがくるなら、俺のスーツ直しておいてよ。こんな肌を見せるのも悪いだろ?」
 やはり答えはなかったが、その数時間後にデッドプールのスーツは用意されていた。
 いよいよまずいかも。と思いながらも、スーツを着込んだデッドプールは個室から大人しく連れ出された。今までろくな抵抗をしなかったからか、拘束具は目隠しと手錠のみだ。
 鎖を引かれ、背中に銃を突き付けられ、そのまま車に乗せられる。音楽の流れるヘッドホンがマスクの上から付けられた。
 目的地には一時間も経たずに到着した。
「ここどこ?」
 ヘッドホンが外される。デッドプールの問いに答えはなく、促されるまま足を動かす。何度か電子錠の開く音がして、金属の階段と廊下を昇った後、最後に辿り着いたのは、ムッとした熱気が篭る場所だった。
 ようやく目隠しが外される。目に映った光景に、デッドプールは思わず頬を引き攣らせた。
「マジで?」
 己の足の下にあったのは、煮えたぎり赤く燃える鉄だった。溶鉱炉だとすぐにわかった。
 デッドプールは思わず天を仰いだ。確かに様々な実験の最後を飾るには相応しいだろう。
 だが大人しく溶鉱炉に落ちてやるほどデッドプールは甘くない。元のアースへの帰還の目処が立たない以上、生き延びるかTVAに文句を言うしか出来ることはない。
「見てんだろTVA! タイムドアを今すぐ開けろ! いくらなんでも溶鉱炉に沈むような悪さは、累積ではしてるかもしれないけどこのアースではまだしてない!」
 手錠を付けたまま見張りを殴り、次々に飛んでくる弾丸を己の体で受け止める。鎖に当たって手錠が切れた。それを良いことに一人を捕まえて弾除けにするが、次に目の前に現れたものに、さすがのデッドプールも目を剥いた。
「うっそー」
 現れたのはガトリング砲だ。溶鉱炉という精密管理が必要となる場所で使うものではない。
 脅しだ。というデッドプールの判断は、次の瞬間打ち砕かれた。
「ぁ、がっ……!」
 内臓と共に体が吹っ飛んだ。踏ん張りが効かずに弾除けにした見張りと共に宙に浮かぶ。どこか遠くで言い争う声が聞こえた。幻聴だったのかもしれない。しかし確かにデッドプールの瞳には、溶鉱炉に儲けられた窓の向こう、落ちていくデッドプールを眺められる特等席で、言い争う者達を見た。
 そのうち一人はデッドプールへの実験に憤りを見せていた若者だ。
 なるほど、あいつがこのアースを題材にした映画の主人公か。とデッドプールは直感した。
 突如現れたミュータントにより国の暗部のヒントを与えられ、己の力がどこから来たものかを知り、向き合う。映画ならば面白くなるかはスタッフ次第。
 このアースがどうなるかは、デッドプールには分からない。
 けれど溶鉱炉に落ちていくデッドプールにはひとつ言えることがある。
 口の中に入れていたウルヴァリンの骨を、落とさないように己のグローブの中に入れ、デッドプールは手を伸ばした。その頃にはデッドプールは確信していた。
 このアースは消滅を免れた。
 だが、そんなことはどうでも良かった。
 言い争う前に助けてくれと思いながら、世界に中指を立て、溶鉱炉に沈みながら渾身の力で叫んでみせた。
「ファックワールド!」
「ウェイド!」
 誰かがウェイドの手を掴み、名前を呼んだ。
 しかしすでに左手のみとなっていたウェイドが、その声を聞くことはできず。
 そして話は最初に戻る。

     ✴︎

 ウェイドはベッドの上で、ローガンから紙袋を受け取った。聞けばウェイドが手首だけになり、このアースへ戻ってきて一週間が経っているという。マスクをずらして水を飲みながら、ウェイドはローガンに言った。
「迎えが遅かったんじゃない?」
 ウェイドの言葉にも、ローガンは顔色ひとつ変えずに応えた。
「TVAに止められていた。そもそもお前がタイムパッドを壊さなければ済んだことだ」
 消滅するはずだったアースが新たなアンカーを得ることは、TVAの記録の中でも数少ない。さらにそのきっかけが他のアースのアンカーなのだ。計器が安定しているからと、デッドプールを危険に晒しても観測を続けようとするTVAを、ローガンは力ずくで説得したという。
「何人か殺した?」
「ロボットだ。こっちが本気だとわかったら物量で押してきやがった」
「ああ、そう」
 水を置き、マスクを元に戻してウェイドはローガンに言った。
「ありがとう」
 ローガンが眉を顰めた。その仕草が不快を表すものではないと知っていたので、ウェイドは気にしなかった。見つめていれば、やがて彼はひとつため息をこぼした後、ウェイドに手を伸ばした。
「触っていいか?」
 ウェイドは手を広げた。
「良いよ」
 その瞬間、ローガンの腕に引き寄せられる。ウェイドの輪郭を確かめるように、ローガンの手がウェイドの肌に触れた。浮いた背骨を辿るように指先が滑る。癌に侵されて凸凹になった皮膚に対し、お前が生きようとしている跡か。と告げられたのは、この男と恋仲になってからだ。
 ローガンが耳元で囁いた。
「マスクを取っても大丈夫か?」
「うん」
 マスク越しに口付けられる。児戯のようなそれにウェイドが笑う。
「今回ばかりは」
 ウェイドのマスクを放り投げて、ローガンが言った。
「お前でも死ぬかと思った」
「それはさすがに俺も思った」
 唇の表面だけを触れ合わせ、二人して大きなため息を吐いた。
 ウェイドの記憶では、コミックスのデッドプールは不死の呪いがかけられているものの、自分はそんなものかけられた覚えはない。しかし手首からでも復活したところをみると、同じレベルの死なない呪いでもかかっているのではないかと感じてしまう。
 ヒーリングファクターを得てすでに百年以上が経っていれば、それも今更のことではあるが。
「まあこのアースのローガンは死んじゃったけど、あんたも俺も別の存在。ローラもメリーも含めて今のヒーリングファクター持ちが楽しく生きてるなら難しいことは考えなくても良い」
「たまに自殺するのにか?」
「それは仕方ない。俺ちゃん癌で死んじゃうくらい辛い時あるからね」
 ローガンがやはり難しい顔でウェイドを見た。その鼻の頭にウェイドは口付ける。
「触るのはもう十分?」
「いや」
 ローガンの唇が再度ウェイドのものと合わさった。まずは軽く。次は深く。
 自身もキスを好むウェイドは、積極的にローガンの舌を吸い、自ら舌を舌に絡ませる。ローガンが口内をぐるりと撫でればウェイドが体を震わせた。息継ぎのために僅かに唇を離せば名残を惜しむようにウェイドの舌がローガンを追い、その唇をぺろりと舐めた。
「口の中の再生は終わったのか?」
「問題なく。時間かかったから、このまま喋れなくなったらどうしようかと思っちゃった」
「それは困る」
「まー。普段はうるさいって言うのにこういう時は素直」
「もう少し口数を減らして欲しいのは事実だがな」
 言うが早いかローガンはウェイドにキスを落とす。チュッチュと可愛らしい音を立て、額から瞼へ、瞼から頬へ、頬から唇へと徐々に下がっていく。ウェイドがくすぐったさに喉を震わせれば、ローガンは喉仏に甘噛みをした。そのまま張り出した部分を舐められる。ウェイドもローガンの頭のてっぺんに、小さくキスを落としてみせた。
 未だ服を着ていないウェイドの身体をベッドに横たえて、ローガンは鎖骨にキスをする。そのまま胸、腹、臍を辿れば、ウェイドの指先がローガンの髪の跳ねた部分を摘んでみせた。
「お風呂入ってないんだけど」
「再生したばかりだろ。末端は時間がかかってた。……内臓はもう入ってるのか」
「大丈夫だと思う。肝臓なんかは意識できないからわかんないけど」
「そうか」
 ローガンが己に触れるウェイドの手を取った。そして左手をまじまじと見る。
「この怪我はどうした」
「ああ、これ? この骨が癒着しちゃって」
 ウェイドは手を伸ばして、枕元に置いていた骨をローガンに差し出した。
「それは?」
「TVAから聞いてない? このアースのローガンの骨」
 ウェイドは手短に骨を手に入れた経緯を説明した。ローガンは最初こそ渋い顔をして聞いていたが、最終的には頭を抱えてしまった。
「……何を言ったら良いかわからない」
「今回は素直に怒って良いよ。俺のエゴでこのアースを危険に晒したんだから」
「あほんだら。そこじゃない」
 ローガンの言葉に、ウェイドが首を傾げた。
「そこじゃないって?」
「ウェイド。俺が腹を立ててるのは、お前がお前を危険に晒したからだ」
 骨を放り、ローガンがウェイドの指先に口付けた。
「軽薄で他人を弾除けくらいにしか思わないお前が、俺の大事にしていたものを慮ってくれたことには感謝している。だが、どれだけ願っても、死んだあの人達は帰って来ない。もう会えない者の為に、今、俺が最も大事にしているお前を損なうな」
 ウェイドが息を飲んだ。その唇が戦慄き、僅かな笑みを浮かべローガンに告げる。
「家に帰って来ないのに?」
 ローガンがバツの悪そうに頭を掻いた。
「それは悪かったと思ってる。論文に手をつけ始めたら夢中になった」
 彼が大学に通い始めたのは、五年前のことだった。元々恵まれし子らの学園で用務員として働きながら独学で勉強をしていたが、限界が見えたという。学問は人の興味が続く以上、尽き果てぬものである。長い時間をこれからも生きるのだ。ウェイドも大学受験には両手を挙げて賛成し、彼を送り出したものの、歴史を学ぶことは予想以上にローガンに合っていたらしい。特に国によって違う歴史の編成の違いにローガンは興味を持った。大抵の歴史は人類の視点から編成されている。ミュータントから観たアメリカ史を研究し始めて、論文に取り掛かるころには家になかなか帰って来なくなっていた。
 そしてウェイドとメリーがローラの家に入り浸り、ローガンと暮らす家にほとんど滞在しなくなったのが一年前だ。
 大きな喧嘩をした訳ではなく、TVAの依頼やローラを含めた食事会などで頻繁に顔を合わせるので疎遠になった訳でもない。ただ気が付けば二人で会話を交わすことが少なくなり、抱き合うこともなくなっていた。
 ウェイドがローガンに手を伸ばした。
「ごめん。俺が意地張ってた」
 半身を起こしたウェイドの手がローガンの頬を撫で、指先がさりさりと髭をくすぐった。
「あんたが夢中になれるものが出来て嬉しい。なんなら数年帰って来なくても、無事でさえいてくれれば良い。これは本心だ。……でも同時に寂しくもある。家に帰らなかったのは、俺も同じなのに」
「きっかけは俺だろう」
 すまない。とローガンが告げた。今度はウェイドから、ローガンにキスをした。僅かに開いたローガンの唇から、ウェイドの舌が口内に入り込む。歯列をなぞる舌が、ローガンの犬歯に触れた。尖った部分に己の舌を押し付ければ甘噛みされて、ウェイドが大きく息を吐く。
「家帰って、もっと落ち着いてセックスしたい」
 あけすけな言葉に笑いながら、ローガンも同意した。
「俺もだ」
 ここは家に汚れや血を持ち込みたくない際に使うセーフハウスだ。セックスする為の場所ではなく、必要なものも何もない。ローガンがウェイドをここに連れ込んだのは、ローラに見つからないようにする為だろう。ウェイドも彼女に体の大半を失った姿を見せたくない。
 彼の肩口に頭を擦り付け、ウェイドは言った。
「あそこに放ってあるウルヴァリンの骨、あんたの名前が書いてあるけどどうする?」
「俺の名前だったのか?」
「そう。迷ったけど、名前だけでもチャールズ達と一緒にあのアースにいた方が良いかと思って。多分、ずっとこのアースにいるんだし」
「いや」
 ローガンは首を横に振った。
「あの人達のことは、俺が覚えていれば良い」
「じゃああの骨どうしようか」
「また埋め直せば良いんじゃないか?」
「あんたの名前が彫ってあるのに?」
「このアースのローガンも同じ名前だろう」
 呆れたようにローガンは言った。
「ローラも墓泥棒には心底辟易していたし、口では薄情なことを言うが、何度もあの墓を訪れている。彼女には思い出す時間も必要なんだろう。墓は生きている者の為にあるものだ」
「死んだ者の為じゃないんだ」
「ヴァネッサやアルに会いたくなった時にしか墓参りに行かないやつがよく言う。死んだ者に意思があるなら、お前の所業に真っ先に化けて出てきてるだろうよ」
「それもそうか」
 デッドプールは画面外でウルヴァリンのみならず何人もの墓を壊し、暴いている。しかし今のところ祟りにあったことも化けて出て来られたこともない。
「銃の弾くらいにはなりそうだけど、前ほどの量じゃないし、墓泥棒も減りそうだもんね。あんたがそう言うなら埋め直しに行こうかな」
 ウェイドはローガンにひとつキスをして、彼の上から降りた。そしてシーツで手を拭うと、転がっていた骨を紙袋の中に入れた。
 墓標は生きている者の為だとローガンは言った。確かにウェイドが別のアースに置いて来た墓標は、あの世界で生きている者の為に存在するのだろう。刻まれた名前が世界を変えた。
 けれど同時に、ウェイドは死ねない身で思う。己がヴァネッサや、アルや他の大切な人達に会いに行くように、自分が死んだ後、ローガンが墓参りに来てくれたら嬉しいだろうと。
「あれ? でも俺ちゃん死なないし、やっぱり生きてる者の為ってこと? まあ良いや」
 ベッドに腰掛け直して紙袋から取り出した派手な柄のトランクスを履き、デッドプールのマスクを被り直して、ウェイドは第四の壁の向こうに話しかけた。
「この話はここでお終い。疲れたし俺ちゃん家に帰るから。じゃあね」
 その後ろにはローガンがいる。彼はまたおかしなことを。とでも言いたげな顔をしたが、お喋りを止めず、ただウェイドの名を呼んだ。ウェイドはそれに答え、ローガンに手を伸ばした。
 いつか世界を救う為に伸ばしたのと同じ左手だ。
 ローガンは躊躇いもせずその手を取って、ウェイドをベッドから立たせてやった。