2025年1月24日の投稿1件]

ウルデプ進捗
書き終わらんかった〜〜〜〜〜!


 咽せ返るような血の匂い。薬物を摂取した者に特有の不快な体臭。
 それらの発生源であるローガンは、己の身体をアダマンチウムの爪で突き刺した。天然の檻に地の底から響くような唸り声が反射する。TVAのタイムパッドによって見つけた山奥の洞窟に、ローガンの他に人気はない。それどころか酷い血臭にも関わらず、野犬どころか虫の一匹すら近寄らない。氷点下ではローガンから溢れ出した湯気の立つ流血すら、すぐに凍ってしまうからだ。
 ローガンはまつ毛に降りた霜を落とすが如く瞬きをした。このままでは己の鼻も両手足の指も、それどころか全身壊死してしまうだろう。そうと分かっていながら動かなかった。壊死しても良いと思っていたからだ。ローガンのヒーリングファクターは二百年以上前からまるで衰えておらず、薬が抜けさえすれば『己の』アースに帰って暖かな部屋で壊死が治るのを待てば良い。そう思っていたからだ。
 どうせなら意識も手放してしまいたかったが、過去、己がしたことを思えば万が一を考えて出来なかった。このアースはローガンが偶然辿り着いただけの場所だ。
 壊したいものはない。
 ややもすれば上がりそうになる息を整えて、ローガンは大きく息を吐いた。いっそ全身凍ってしまえば動けなくなるだろうか。そんなことを考えた時、ふと空気が揺らいだ。
 鼻を掠めた匂いに、まさか。と目を見張った。けれどタイムパッドよる光の扉が現れた瞬間、ローガンはその先にいる存在を確信した。
「……ウェイド」
 ローガンが呟いた己の名前に被せるように、ウェイドの軽口が始まった。
「ヤッホークズリちゃん。一日ぶり。元気してた? してないね。TVAのタイムパッド盗んで他のアースに逃げた。って聞いた時はびっくりしたけど、この状況見たら納得。すごいにおい。アルがいたらこれだけで天国にイっちゃいそう」
 ホルスターから銃を抜く音がする。ウェイドは軽口を止めずにローガンに近付いた。
「というかその状態でよく俺ちゃんに気付けたね。匂い? 音? それとも愛かな。全部かも」
 ローガンの顎に冷たい銃口が触れ、そのまま掬い上げるように銃身で顔を持ち上げられた。
「目、ほとんど見えてないでしょ。一回凍って再生中? それとも失血で神経回路が働いてない? まあどっちにしろ怒るけど」
「怒るのか」
「怒るでしょ。あんただって俺が同じ状態になったら怒るだろ?」
 怒るに決まっている。ウェイドだけではない。アルが、あるいはローラが、理不尽に体に害を与える薬を摂取する事態になったらローガンは怒る。
 そう考えて、ローガンは顔を動かした。この短時間に髭が凍って銃に貼り付いたのかぶちぶちと音がしたが、そんなことは気にならなかった。表皮の感覚が消えて久しい鼻をひくつかせる。
「……血の匂いがするな」
 氷が張り、鈍った鼻では気が付かなかった。己のものでもウェイドのものでもない、複数人の血の匂いがする。錆臭さが薄いことを考えれば、血が付いてさほど時間が経っていないことは明白だ。
 今回のTVAからの依頼はローガンにのみ押し付けられたもので、一昨日まで同じくTVAの依頼で別のアースを走り回っていたウェイドは、ローラと休日を楽しんでいたはずだ。
 眉を寄せたローガンの言葉に、ウェイドが笑った気配がする。同時に銃が顎の下から引き抜かれ、ローガンの頭が重力に従って地面に落ちた。
「あんた探すために何人かボコってね。このタイムパッドもその辺にいた職員から盗ったのだよ」
 定期的にTVAの依頼を受けているとはいえ、ウェイドもローガンも、専用のタイムパッドを支給されてはいなかった。正式な職員でないのもあるが、ウェイドはTVA職員を複数殉職させた上、他のアースを飛び回り、ローガンを連れてきた前科がある。アースひとつ滅ぼすような道具を持った組織であれば、職員が数人、十数人死んだくらいではびくともしないのだろうし、パラドックスが知らないような隠し道具でウェイドを止めることも可能だろうが、だからといって何をしでかすか分からない相手に渡すものでもない。
 今、ウェイドがいじっているタイムパッドを奪うために、ウェイドが何人か殺しているかもしれない。そう思いながら、ローガンは眩しいものでも見るように目を眇めた。ウェイドは大事なものを守るためには手段を選ばない。
 手遅れになる前に、何を犠牲にしようと誰を殺そうと、生かしたい者を生かそうとする。
 だからこそ、ローガンはウェイドの手を取った。
「ローたん」
 ウェイドがローガンに声をかけた。同時に奇妙な浮遊感がローガンを襲う。
「受身取れなくても、治るから良いか」
 己の体の下、地面のあった場所が、タイムパッドによって他の場所と繋げられたのだと気付いたのは、一メートルほど自由落下し、硬い地面に叩きつけられた後だった。
「ぅ、ぐ……!」
「おー。まあまあ条件通りの部屋だ」
 氷点下から、おそらく常温に整えられた室温の差に眩暈がする。血管が膨張して何本か切れたかもしれない。二、三度咳き込んで肺の中の空気を入れ替えたローガンは、怒りを隠さずに名を呼んだ。
「ウェイド。どこに連れてきた」
「極寒よりはマシな場所」
 言われずともわかる答えを告げた後、ウェイドは面白くもなさそうに「どっかのアースのTVAの研究所」と言った。
「あんたが望めばいつでも鍵を開ける準備ができてる扉に、個室のトイレ。長期保存が出来る食料各種と、アダマンチウムほどじゃないけど丈夫な金属で上下四方を囲まれた部屋」
 寒さへの対策をしなくとも良くなったからか、急速にローガンの視界が拓けていく。
「ドローン型の小型カメラ、は必要ないか」
 四発の銃声が響いた後、部屋の四隅から機械の壊れる音がした。
 欠けても霞んでもいない視界に映ったウェイドは、ホルスターこそしていたものの常のパーカー姿であり、ローガンと目が合うと己を指差して笑ってみせた。
「あとは俺」
 ウェイドがしゃがんで大きな体躯を屈め、横たわったままのローガンを覗き込んで言った。
「依頼自体は成功してるし、あんたがそうなった原因は向こうの職員のミス。だから今のあんたに必要そうなもの全部この部屋に集めてもらったけど、他にいるものは?」
 ウェイドの指先が、ローガンの頬に触れた。それだけでゾッと肌が泡立ち体温を上げる単純さに、ローガンは唸り声を上げた。
「……必要ない」
「これで十分?」
「違う。ウェイド。必要ないのは全てだ」
 ウェイドの手を拒絶するように首を振る。あれだけの血を流し、ヒーリングファクターが働いていながら、氷点下の山奥でも燻っていた火が、息を吹き返す。
 薬物によって付けられた火だ。
 あるアースに住むミュータントの血から作られるそれは、他者の脳内ホルモンに作用する。濃度と混ぜ物によって効果に多少の変化はあるものの、根本的な効果は変わらない。戦場の兵士に飲ませれば恐怖を麻痺させ眠りを忘れ、興奮のまま敵を討ち取るようになり、欲に溺れたものは精力剤として己で、あるいは他者に飲ませて使用する。
 その薬の原液が入った貯水槽にローガンが落ちたのは、先ほどウェイドが言ったようにTVA職員のミスだった。間抜けなミスだ。まさか依頼のために別のアースに降り立った瞬間、貯水槽に落ちるとは思わなかった。
 依頼内容が薬の破棄と『原料』であるミュータントの保護であったため、ローガンは貯水槽を壊し暴れ回り、ミュータントの保護はTVAに任せたものの、皮膚から吸収し、突然のことに飲み込んでしまった薬の効果はヒーリングファクターをもってしてもなかなか抜けはしなかった。
 そもそも致死量を超えて摂取したのだ。意識を失わないだけ幸運だったとも言える。
 ▲たたむ

Powered by てがろぐ Ver 4.1.0.





index