No.1007

#アガガプ

続きです。前回読まんとわけわかんないと思う。



 珍しい気配に目が覚めた。アガレスは唸りを上げて体を起こす。ぼやけた視界の中でシショーが気遣わしげにアガレスを伺っていた。それに小さく大丈夫と告げて伸びをする。悪魔学校を卒業して七年、戦場で働き始めて五年。この生活にもすっかり慣れたが、家系的に他悪魔より多く必要となる眠りが満たされることは稀だった。
 二回のノックにどうぞと返す。出迎えることはしなかった。中立地帯にアガレスの家系魔術で作られた仮設住宅の中だ。アガレス自身が鍵をかける必要はなく、他悪魔もそのことは知っている。
「失礼します」
 扉を開けたのは一昨年悪魔学校を卒業し、今年戦場に派遣されたばかりの悪魔だった。わずかに緊張した面持ちの後ろに、緊張のかけらもない、しかし堂々とした立ち姿の悪魔がいる。
「久しぶりだな」
 お客様です。という言葉を遮って、客魔であるサブノックが告げた。それにひとつ息を吐きながら、久しぶり。とアガレスは応えた。己の眉間に皺が寄っているのは分かっていた。元問題児クラスの面々と会えることに悪い気はしないが、普段戦場にいない悪魔がわざわざアガレスを訪ねて来たのだ。用件は仕事か厄介ごとかのどちらかと考えるのが妥当だろう。
 とりあえず。とサブノックを連れてきた悪魔を持ち場に戻らせた。後輩の気配が遠ざかったところで、アガレスはサブノックを見上げた。アガレスも学生時代と比べれば随分と身長が伸びたが、それは相手も同じことだ。シショーの上に寝そべっていれば、尚更首が痛くなる。幼さが消え、経験と共に皺を刻んだサブノックの顔に、まだ新しい傷があった。戦場か、あるいは魔王候補の周りで相変わらずの厄介ごとが起きているのか。そう考えながら、用件は? と聞けば、サブノックはウム。と頷き口を開いた。
「顔を見に来た」
「……はあ?」
「だから、顔を見に来たのだ」
 あっけらかんと答えたサブノックに、アガレスは二の句が告げなかった。なにせここは戦場だ。中立地帯とはいえアガレスが常駐する場所は交戦区域に近く、風に乗って叫び声や魔術の爆発音が聞こえることもしばしばあった。
 決して、近くまで来たからついでにと寄れるような場所ではない。
「本気で言ってる?」
「嘘を吐いても仕方なかろう」
 腕を組んで胸を張り、なぜそんなことを聞かれるのか分からない。と全身で表現しながらサブノックが鼻を鳴らす。これが他の悪魔であったなら、アガレスも怪訝な視線を返しただろう。しかしサブノックは悪魔学校で問題児クラスを共に卒業した級友だ。お互いの性格など三年の間に知り尽くし、元祖返りでもしない限り揺らがない核があることをわかっている。
 だが納得がはいかない。
 そんなアガレスの内心を読んだように、戦場に来たのは別件だ。とサブノックが告げた。
「先月ドロドロ兄弟が功を焦ってヘマをしただろう。運よく所属部隊の部隊長に回収されはしたものの、その後始末が必要でな」
「ああ、アレね……」
 その話には覚えがあった。ドロドロ兄弟が大怪我をして野戦病院に運び込まれたと聞いている。病院スタッフも驚くスピードで快方に向かっているらしいが、二人は名の知れた傭兵で、戦場の士気にも関わってくる存在だ。その情報は他の患者の精神状態をも左右する。なるべく秘匿したかったが、悪魔の口に戸はたてられず、おかげで何名か悪周期を心配する患者も出てきていた。
 そこまで考えて思い至った。
「もしかして、患者の悪周期対応してくれんの?」
「ヌシ、連絡通信を読んどらんな?」
「病院の方は管轄外だって……」
 アガレスは頭を掻いた。常に物資が足りておらず、魔獣の手も借りたい戦場だが、そこで動く悪魔の役割は決まっている。アガレスの主な仕事は戦火に追われた民間悪魔の保護だ。とはいえ悪周期となればアガレスも動かざるを得ないので、伝達ミスの可能性もある。
「民間、兵士の悪周期を問わず、ヌシの家系能力で悪周期用の個室を作ってやっていると聞いたが」
「そ。ただ寝泊まりしてもらうかは悪魔による。イルマくんみたいに他のやつと一緒にいたがる悪魔もいるし、子供の場合は親か、他の大人達複数人と一緒に様子を診るのが基本。悪周期中も全員にメンタルケアと食事や水の供給は必要だし、暴れて万が一怪我したり傷口が開いたりしたら処置が必要」
 悪周期の主な原因はストレスだ。戦場はそれ自体がストレスとなる。この場所で悪周期は並の努力で防ぎきれるものではなく、悪周期中の破壊衝動がさらなるストレスを生むこともあり、対処は慎重にせざるを得ない。多くの悪魔が戦場を離れた後も、ここでの体験を抱え込むことになるので尚更だ。
「ならば他の悪魔との情報の共有と協力体制の確保は早めに必要だな」
 サブノックは顎を撫でた。
「こちらも仕事であるので遠慮せず己を使ってくれて良い。荒事になったとしても己の家系魔術ならば受け止められる。たとえドロドロ兄弟が悪周期となったとしても問題はないだろう。あの二人のことは家系魔術含めある程度理解している」
「そういや仲良かったね」
「収穫祭で縁があっただけだ」
 鼻を鳴らすサブノックに、アガレスは首を傾げた。
「その後もちょくちょく交流してたって聞いてるけど」
「それは戦場の話を聞いていたからだ」
 バツが悪そうにサブノックが頭を掻いた。
「歴代魔王の逸話には戦場に関わるものが数多い。己は文字の上の戦場ならば知っていたが、実際の空気感などは知らなかったのでな」
「そんなの」
 その言葉に、呆れたように、あるいは皮肉るようにアガレスが口を歪めた。
「全然役に立たなかったでしょ」
 吐き捨てるような言葉だった。
 サブノックが鷹揚に頷いた。
「そうだな」
 そう思っていた。とサブノックは続けた。
 ━━魔王の逸話。
 後世に残るもの。
 物語の中の戦場にあるのは魔王を中心とした華々しい姿であり、決してドロドロ兄弟が歩んできたような、あるいは今、アガレスとサブノックが立っているような場所の記述はない。
 痛みを知ったとして、それは治ってしまうものだ。
「だが『語られない』ということから知ったものもある」
 魔王を夢見て魔王を追い続ける悪魔は、はっきりと言った。
「この場所での悪周期の対応もその一つだ」
 その言葉に、アガレスは顔を顰めた。
「どういうこと?」
「今まで蓋をしていたものに目を向ける覚悟が出来たということだ」
 ひとつ息を吐き、サブノックは言った。
「停戦に関しては相変わらず意見が割れており、己の力不足にも他の連中にも腹が立つことこの上ないが、戦場の扱いに関してある程度方向性を変えることに成功した。これは後で他のスタッフ達にも共有するが、戦場での悪周期の経験と元祖返りにある程度の相関が見えてきている。今まで現地スタッフのみで共有され対処されていたことを、次は魔界をあげて対処すると十三冠並びに魔王候補達の集いにて決定した」
 アガレスは思わず息を飲んだ。そして、だからか。とも納得する。ドロドロ兄弟のことを抜きにしても、今の魔界でバラム・シチロウの次に悪周期について詳しいのがこの悪魔だろう。戦闘力や対応力だけでなく、魔王についての独自研究から分かるように調査においても頭ひとつ抜けた働きを期待できる。戦場に送り出すならばこれ以上の適任はない。
「……誰が言い出しっぺ?」
「魔王候補の中の誰かと言っておこう」
「それもう答えじゃん」
 シショーの上に寝そべってアガレスがため息を吐いた。
「まあ十三冠のお歴々が対応に苦慮してんのは自業自得として、俺らは元祖返りに痛い目遭わされてるし、何よりここの被害考えたら遅いとしか言えないんだけど」
「それに関しての言い訳はない。これからの対応で挽回する」
「挽回できないこともあるって心に刻んどいてよ」
「承知した。……で、だ」
「ん?」
 重々しく頷いたサブノックがアガレスの顔を覗き込む。その視線の鋭さにわずかに身じろぎをする。
「まずはヌシだ」
「何が?」
「何がではないぞ! 悪周期への対応だ」
「はあ?」
 アガレスは思わず呆けた声を出した。聞き間違いかとも思ったが、サブノックの視線は真っ直ぐにアガレスを射抜いている。
「いや、なんで俺」
「戦場での悪周期と言っただろう。そこには当然現地スタッフも入る」
 特に。と指を差されてアガレスは開いた口を閉じた。
「ヌシのような無理をする者はな」
「無理なんか、」
「しているだろう」
 言い切られて、アガレスは何も言えなかった。戦場で暮らして何年目だ。と言われればぐうの音も出なかった。自分でもわかっている。けれど帰ることは躊躇われた。アガレスの家系魔術は汎用がきき戦場で頼られることも多かった。
 そして何より。
 と、浮かんだ顔を、アガレスは首を振って打ち消した。シショーがアガレスを見上げる気配がしたが、そちらを見ることはしなかった。
 黙りこんだアガレスに、サブノックがひとつ息を吐いた。
「抑制剤の使いすぎは良くないぞ」
 その言葉に、アガレスは舌打ちを隠さなかった。
「知ってる」
「ならとりあえず手紙を書け」
「病院に?」
「違うに決まっておるだろう。ガープにだ」
「……は」
 一瞬、出て来た名前を理解できなかった。思わず背けていた顔をサブノックに向けた。聞き間違いかとも思ったが、そうではなかった。
「だから、ガープに手紙を書けと言ったのだ」
「な、んで」
「約束したと聞いている」
 誰からかは聞くまでもない。
 ガープだ。五年前、この戦場に来る前に、最後に会った悪魔。
「約束とは契約だぞ。悪魔が守るべきものだ。ストレスの原因になる」
 淡々と、噛んで含めるようにサブノックは言う。
「書くべきだ」
 アガレスはやはり顔を顰めた。
 ここ一、二年で驚くほど通信機器が発達し小型化され、戦場でも不安定ではあるがス魔ホが繋がるようになったものの、五年前は魔インでひとこと送るにも苦労する状況だったのだ。だからアガレスは旅立つ日にガープに約束した。寂しいと泣く彼の泣き声のうるささに辟易しながら、まるでおもちゃが欲しいと駄々をこねる子供をなだめるように。
「でも、別に手紙なんか送らなくても中元や歳暮は送ってるし」
「己も相伴に預かった。うまかったぞ。A5等級の魔牛のすきやきだったな。どこで頼んだんだ」
「向こうに帰る悪魔達に頼んだから知らない」
 怪我やストレスで戦場を離れていく悪魔は絶えない。アガレスは故郷に帰る彼らにいくらかの金を渡してガープに歳暮や中元を送るように頼んでいた。オトモダチという概念はまだ一般的でないので、昔、世話になった悪魔に贈るのだと言えば、彼らは快く引き受けてくれた。
「一緒に手紙を書いて渡さなかったのか?」
「しなかった」
「何故だ」
「……欲が出そうだった」
 吐き捨てるようにアガレスは言った。言いながら、縋るようにシショーを抱きしめた。
 本当は。
 本当は、手紙を送るつもりだったのだ。サブノックも言うように約束は契約だ。アガレスも守れるものなら守りたかった。けれど机に向かったは良いが、アガレスはペンを動かすことができなかった。戦場にだって花は咲くし、子供が元気になれば嬉しいのにも関わらず。
「そうか」
 サブノックはアガレスの言葉を否定しなかった。
「ならば欲以外を書けばいい」
「欲以外って」
 何を。という言葉は、アガレスの口から発せられなかった。目の前に良く知った、しかしながらこの五年、見ることのなかったものがあったからだ。
「ガープからだ」
 そこにあったのは悪魔学校に通っていた頃、ほとんど毎朝食べたもの。けれど飽きなかったもの。
「おにぎり……」
 白い皿の上に盛られた、山のようなおにぎりだった。
「いやどっから取り出した!?」
「このために発明された魔術で己に接続した空間からだ。イルマが食料用に風味を落とさず口に入る瞬間魔術が解けるよう独自開発した保全魔術もかけられているぞ」
「技術の無駄遣い!」
「無駄ではない」
 無駄ではない。と、もう一度サブノックが言った。
「ガープが、ヌシというオトモダチのために行ったことだ。無駄と言ってくれるな」
 その声が、予想外に静かでアガレスは言葉を飲み込んだ。
「本当は手紙が来ないなら逆に送ってしまおうと考えたらしいが、内容がうまくまとまらず、代わりにこれになったらしい」
 差し出されたおにぎりを見て、アガレスは一度視線を床に落とした後、もう一度サブノックを見上げた。
「食べても?」
「当然だ」
 アガレスは山の頂点からひとつ、おにぎりを取って口にした。少し硬めに炊いた米が、口の中でほどけてゆく。塩は少し物足りないくらいで、代わりに真ん中の梅干しが涙が出るほどに酸っぱい。
「うまいか?」
「いつもと一緒」
 その声が、震えていなかったと言えば嘘になる。けれどサブノックはそのことに触れずに、では己も食べても良いか。と言った。
 もちろんだった。
「他のやつも呼ぼうか。子供達にも食べさせたい」
「ああ、それが良いな」
「シショー、外に運んでくれる?」
 アガレスが頼めば、シショーは体を震わせて了解を告げた。施設の外に出て、まずは子供達を呼ぶ。サブノックの持つおにぎりに目を輝かせる子供達を見ながら、アガレスは己のおにぎりの残りを口の中に放り込んだ。
「……うま」
 アガレスの家系は睡眠を重視する。食事も起きた時に母が用意していたものを個別で取ることが多かった。誰かと一緒に食べることを重視するようになったのは、ガープと出会ってからだ。
 書けぬ手紙の代わりに中元や歳暮を送る際、洗剤とかでも良いけど、出来れば誰かと食べられるくらいの量のうまい飯を送ってやって。と告げていたのもその記憶があったからで、魔インにガープから中元や歳暮を楽しむ写真が送られるようになると、その傾向は強まった。
 アガレスはサブノックに声をかけた。
「ねえ。帰る時、ガープに送って欲しいものがあるんだけど」
 サブノックは笑って頷いた。
「承った」
「それと、ありがとう」
「ああ」
 子供達がおにぎりをひとつずつ手に取り、かぶりつく。アガレスはス魔ホでその写真を撮ると、ガープに送った。やがて魔インに既読がつく。その後送られて来るだろうメッセージを予想しながら、アガレスは全員に向けて「ありがとう」を打ち込んだ。
 びっくりするくらいに視界が晴れていた。しばらく悪周期の抑制剤は必要ないだろう。我ながら単純だと呆れるが、思えばアガレスはガープに出会ってからずっと分かりやすく単純な欲を抱いていた。ガープと出会った後、悪周期になりかけた原因を思い出す。
 アガレスは心の中で小さく笑った。帰らなければ向き合うこともないと思っていた欲だった。けれどおにぎりひとつでこのザマだ。どう足掻いても付き合っていかねばならぬのだと諦めざるをえなかった。
 おにぎりを食べた子供たちが笑う。
 アガレスは戦場に最後まで付き合うと決めている。魔王候補である友人たちの頼みとは別に、アガレス自身がそうしたいと願っている。けれど、ずっとこの場所にいなくても良いのだとは気付いていた。一度離れても戻ってこれるとわかっていた。
 であればアガレスは、ガープへの手紙に「今度は一緒に食べよう」と、そう書くことを決めていた。


▲たたむ

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