No.1341

これはオメガバに挑戦しようと思ったが、まとまりがなくなったので途中で書くのをやめたイザカク
色んな細かな部分に対してフォローを入れつつ当時の空気感を考えながら書くのが面倒になったとも言う。
#イザカク



「なんで止めたの?」
 血の繋がらぬ妹の声に、イザナは視線だけを動かしてエマを見た。彼女は己に与えられた部屋の隅っこで、膝を抱えて座っている。着ているのは襟ぐりの伸びた万次郎のTシャツに、真一郎のジャージ。普段の彼女ならば選ばないような服装だが、イザナは何も思わない。
「なんでも何も、あの状況で止める以外の選択肢があるってのか?」
 携帯電話に視線を戻し、イザナは言った。ちょうど鶴蝶からのメールが滑り込んでくる。開かないまま放置された万次郎や武藤のメールはそのままに、己の下僕のメールを開く。鶴蝶のメールには薬を買ったという報告とともに、エマを気遣う拙い言葉が書かれていた。イザナはそれを読んでようやく、エマにとっても己にとっても危ない状況だったのだと実感した。
 オメガという性別がある。
 一般的な男女とは別に人間が持つ性別のひとつであり、対のように扱われるアルファと共に繁殖に特化した性別だ。発情期となると己の意思とは関係なく、他人の性欲を刺激するフェロモンを出し、繁殖可能なアルファを誘惑する。
 オメガであるエマが初めての発情期を、よりにもよって彼女の恋する相手である龍宮寺の前で迎えたのは1時間ほど前のことだ。イザナが龍宮寺を止めなければ暴走した彼にエマが犯されていただろう。
「でも」
 だのにエマは、でも。と告げる。続く言葉が『あり得なかった』からこその甘えだと、彼女もわかっているだろうに。
「ケンちゃんに、噛んでもらえたかもしれないのに」
 イザナは思わず舌打ちをした。エマが言っているのは番契約のことだ。アルファとオメガだけが結ぶことのできる、繁殖相手をただ一人に決める契約。アルファがオメガの頸を噛むことで成立し、噛まれたオメガに身体的な変化すら促すもの。アルファとオメガだけが結べるという希少性と、頸を噛むというインパクト故にか番契約に関するさまざまな恋愛譚が古今東西で作られてきた。しかしこうなると悪影響の方が大きい。
「オマエはオレらに自分達のセックス見せるつもりだったのかよ」
「さっ……!」
 その言葉に、エマが絶句した。
「最悪! セックスじゃないでしょ!」
「同じようなもんだろ」
 苛立ちを隠さずにイザナは言った。吐き捨てるような口調になったのは仕方がない。中学生が番契約に夢を見ることは勝手だが、その幼さを柔く包んで諭してやるほどイザナは大人になりきれない。幼い頃兄妹として育ったとはいえ、再開して3ヶ月しか経っていないならなおさらだ。
 こんなことならエマとの約束などすっぽかしてしまえばよかった。そんなことすら思ってしまう。そもそも再会を望んだのはエマであって、イザナではない。


 天竺が東京卍會に吸収された後、少しずつ佐野家とイザナの交流は始まった。イザナと万次郎がその内心を否が応でも晒さねばならなくなったことや、真一郎がイザナに詫びたこと、そして抗争で怪我を負ったイザナと鶴蝶を佐野家が面倒を見たことなど、複数の要因が重なって始まったことだった。
 とはいえ何もかもが最初からうまく進んだわけではない。イザナはもちろん抵抗したし、鶴蝶は金銭的な面で他人に頼るのを嫌がった。万作が時間をかけて2人と話し合うことでどうにか着地点は見つけられたものの、次はイザナとエマの交流に、万次郎と彼の友人である花垣が懸念を示した。要領を得ない彼らの言い分をまとめると、イザナとエマが仲良くなるのは良いと思うが心配が勝つ。ということだ。黒川カレンのことがあるのでイザナはそれを当然と考えた。だから会わずにいようと思ったのだが、エマが反発した。
 約束したのに。というのがエマの言い分だ。
 約束したのに。迎えにきてくれるって。
 ——約束だ。エマ。
 幼き日の約束を、イザナも忘れてはいなかった。
 イザナにとって、約束は人生の核を成すものだ。
 人を欺くことも嘘を吐くこともとっくの昔に知ったのに、約束だけは無碍に出来ない。
 加えてイザナを放置したかつての真一郎と同類になるのも業腹だった。であれはイザナはエマに会うしかない。
 1度目の邂逅は数ヶ月前、抗争で怪我をしたイザナの病室に、エマと真一郎が見舞いにきたことで実現した。次はその1週間後、退院祝いだと万作が財布を出し、佐野家の者たちとファミレスで食事をした。慣れてしまえば3度4度と交流は続き、両手で足りなくなるほどの回数となった今日は、勝手に付いてきたという万次郎と、イザナが連れてきた鶴蝶と一緒にちょっとした買い物に出かけたのだ。途中から龍宮寺が合流したのは万次郎がいつのまにか呼んでいたからである。
 その方が楽しいだろ。とは万次郎の言で、ドラケンが来るならもっと服に気合い入れたのに! とはエマの言だ。万次郎としてはイザナが鶴蝶を連れてきたのでエマにも龍宮寺を連れてきてやろうという善意だったようだが、大きなお世話である。
 エマの発情期に当てられた龍宮寺を止めるために、イザナがひと暴れしなくてはならなくなったのならば尚更だ。


 ——妙に腹が減って落ち着かねえ。
 龍宮寺がそう告げたのは、複合商業施設から出てすぐのことだった。彼は言葉通り落ち着かなさげに口周りを撫でていた。その様子に、ちょっと早いけどファミレスでも入る? とエマが聞く。けれど龍宮寺の答えははっきりしない。
「イザナ」
 目を泳がせる龍宮寺を見て、イザナの名を呼んだのは鶴蝶だった。名を呼ばれて初めて、イザナは己もどこかぼんやりとしていたのに気が付いた。手で鼻を押さえたのは無意識だ。意識して辺りを見回せば、通行人のうちの何人かがこちらを——正確にはエマを——チラチラと見ている。
 舌打ちがこぼれた。
「おい」
 イザナが万次郎を呼ぶ。なに? とどこか幼い仕草で首を傾げた万次郎は、常と変わらない。イザナはそこでようやく、オメガのフェロモンは血の繋がった者に効きづらいことを思い出す。
 イザナは言った。
「オマエ、エマ連れて帰れ」
「は?」
「イザナ」
 万次郎の機嫌が一気に悪くなり、鶴蝶が眉を顰めた。
「他に言い方あるだろ」
「こんなとこで白昼堂々する話かよ。良いから早く帰れ。後で教える」
 下僕が。との言葉は省いた。言わずとも鶴蝶ならば伝わるからだ。
 万次郎はますます不機嫌になった。
「それでオレが納得すると思ってんの?」
「オマエが納得するかどうかは関係ないんだワ」
 ひとつ鼻を鳴らしてイザナは続けた。
「いいから、」
 とっととエマ連れて帰れ。
 繰り返すはずだった言葉は音にならなかった。
「ケンチン?」
 エマの不思議そうな声がした。ハッとして振り向けば、そこには顔を押さえてしゃがみ込む龍宮寺と、龍宮寺に手を伸ばすエマがいた。
「どうかした? 具合悪い?」
 白く細い指先が龍宮寺に触れ、その刺激にか龍宮寺がエマを見る。そして彼の手がエマに伸ばされた、瞬間。
 考えるより先にイザナの身体が動いた。
「え?」
「イザナ!」
 ぐん。とエマの身体が傾いだ。同時にイザナの脚が地面を蹴る。龍宮寺の怪我など構っていられない。
 衝撃。ついで鈍い音。
 イザナが龍宮寺の頬に膝を叩き込んだのだ。龍宮寺の上体が地面に倒れ、彼に手を握られていたエマは、すんでのところで鶴蝶が受け止めた。
 急な揉め事に周囲に動揺が広がった。
「ずらかんぞ」
 起き上がった鶴蝶に耳打ちし、答えを待たずに走り出す。
「イザナ! 待ってくれ!」
「え、ちょっと! ケンちゃん!」
 エマが叫ぶが、彼女を抱き上げて鶴蝶が走り出す。
 そしてぽかんとした万次郎と地面に倒れた龍宮寺を置いたまま、三人は駅まで走り、佐野家に戻ってきたのだった。


 思い出すだけで疲れるな。とイザナはひとつ息を吐いた。加えて佐野家に戻ってから、家にいた真一郎を外へ叩き出すのもイザナの仕事だった。エマへの説明は鶴蝶がした。鶴蝶は少し前にオメガであると診断され、初めての発情期もすでに迎えている。
「発情期って、こんな急に?」
 エマは信じられないようだった。イザナは二人の話を、常用しているものとは別の抑制剤を飲みながら聞いた。
 エマの言葉に鶴蝶が首を捻る。
「うっすらフェロモン出てたし、ドラケンとイザナが反応してたから急ではないと思うけど……。朝、身体だるかったりしなかったのか?」
「あ……」
 その言葉にエマが顔色を変えた。
「ちょっと変だなと思ったけど、熱なかったから……。嘘、抑制剤もなにもない」
 ようやく己にも発情期がきた実感が出てきたのか、エマは急に慌て出し薬のことなどを心配しだした。とりあえずは。と、鶴蝶が己の予備の抑制剤を飲ませたが、1回分しかない。仕方なく、イザナは鶴蝶に追加の薬や他に必要と思われるものを買いに行かせた。イザナが付いていかなかったのはイザナがアルファだからだ。アルファと共に発情期の抑制剤を買いに来たオメガは好奇の目に晒されやすい。
 ましてや初めての出来事でエマが不安になっているのは明らかで、普段なら下僕の言葉など聞かないイザナも、どうしてか今日ばかりは、一緒にいてあげた方が良いだろ。という鶴蝶の言葉に逆らう気が起きなかった。
 とはいえイザナはそこまで面倒見が良いわけではないので、今の沈黙につながっている。
 やはり真一郎を呼び戻して病院へ連れて行かせれば良かった。とイザナは息を吐いた。自分よりも動揺しそうなので万作が帰ってくるまで待つ。と彼女が嫌がったのだが、行けと言い張れば従っただろう。発情期の厄介さとオメガにとってのアルファの危険性を今日で十分知ったはずだ。
 今からでも呼び戻すか。


「セックスじゃないもん」


「ニィ、それって」
 エマはハッとしたように口を開いた。
「実体験?」
 拳骨が落ちた。▲たたむ

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