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Dオラの進捗
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「D-16」
名前を呼ばれ、D-16は足を止めた。振り返ればエリータ1が立っている。彼は少々驚きながら、その機体を壁に寄せた。小さなベッドの並ぶコグ無しの居住エリアに向かう廊下であれば、2機がすれ違うのにやっとの広さしかなかったからだ。
「やあエリータ1。何か用でも?」
D-16は努めて明るく彼女に呼びかけた。D-16がエネルゴン採掘区画で働き始めてからまだ夜は20回程しか巡ってきていない。新入りの札が取れない身で、チームリーダーをも任される機体に話しかけられれば、何かヘマをしたかと恐ろしくなる。
しかしエリータ1の口から出て来たのは、思いもよらない名前だった。
「あなた、オライオンパックスを見なかった?」
「パックスを?」
D-16は表情を取り繕うのも忘れて聞き返した。オライオンパックスはD-16と同時期にこの区画へ送られて来た『問題児』だ。仕事はそつなくこなすものの、規則破りの常習犯で、納得のいかないことがあればコグ有にも喧嘩を売るし、立ち入り禁止エリアにも忍び込む。
本来あまり近づきたくないタイプだが、不思議とD-16とオライオンは馬があった。出会ってからのこの短い間にも、彼の問題行動を庇い、隠し、一緒に怒られてやったこともある。
今日はシフトの関係で別行動だったが、またあいつが問題を起こしたのか。と顔を顰めれば、D-16の表情の意味するところを汲み取ったのか、エリータ1が「今回、彼に否はないわ」と首を横に振った。
「私は彼の問題行動に辟易してるけれど、否のない部分まで責めたり、ましてや私を庇ってしたことを『勝手にやったこと』だと突き放したりもしたくない」
「パックスが、エリータ1を庇った?」
「ええそう。助かったわ。腹が立つことにね」
エリータ1は腕を組んで頷いた。そして素早く周りを見回すと、声を顰めてD-16に告げた。
「エネルゴン精製所で、輸送管理を担ってるコグ有2機の疑惑は知ってる?」
「あ、ああ。噂くらいは」
ほんの少しだけ身を屈めてD-16は頷いた。
ボット達を含めたアイアコンシティ全てのエネルギー源はエネルゴンだ。13プライムを失いマトリクスが行方不明になった後、湧き出なくなったエネルゴンはセンチネルプライムの指揮の下、厳重に管理されている。しかしコグ無しが採掘し精製したそれが、流通の要であるアイアコンシティの中央区に送られるまでに盗まれているという噂があった。その首謀者とされているのが、件の輸送管理を行っているコグ有り2機だ。
「ノルマからすれば誤差で収まる範囲だけれど、長期間続けば噂にもなるわ。おまけに1度、その疑いを輸送列車の積み下ろしを担当していたコグ無しになすりつけている」
D-16はわずかに目を見開いた。マトリクスが失われたことにより生まれ始めたらしいコグ無しが、一部の螺子が緩んだコグ有りからどのような扱いを受けているか、彼は身をもって知っている。
「その2機がパックスに何を?」
「パックスじゃないわ。狙われたのは私」
落ち着きなさい。と言うように、エリータ1がD-16の肩を叩いた。カン。と金属同士がぶつかる軽い音が、狭い廊下で反射した。
「でも、安心できないのは確かね」
「何が……」
「ウイルスよ」
ため息と共に吐き出された言葉に、D-16の顔が歪んだ。
「ウイルス汚染されたモジュールを、管理者権限で読み取りさせられたの。多分、そう。いわゆる『気持ち良くなれる』ウイルスを、ね」
ボット達が稼働を止めないために、注意を払わなければならないものはアイアコン5000でドクター達に苦言を呈されるトランスフォーマー達以上に存在し、その脅威度も都度更新されている。
その中でも特に身近なもののひとつがウイルスだ。プロセッサに侵入し、様々な悪事を働き増殖する。脅威度は種類によって様々で、ボット達が生まれながらに持つアンチウイルス機能やセキュリティ機構で即座にブロック・デリートされるものもあれば、クインテッサにより作られたとも言われている、プロセッサのコアを止めるようなものもある。
とはいえほとんどのウイルスには対策が取られており、スパークにまで影響を及ぼすものも発見されていない。しかし毎サイクルのように新しいウイルスが登場する。ボット達、それもトランスフォーマーの機能に詳しいコグ有り達が、ウイルスを作り出しているからだ。
「パックス?」
もう何サイクルも整理整頓されていないだろう資材置き場の奥へ、D-16は慎重に呼びかけた。ここはオライオンがこの区画にやって来てすぐに見つけ、彼がジャンク屋から手に入れた記録媒体や投影装置を隠しておくのに使っている場所だ。元々は地盤沈下の恐れがあることが判明し、開発が中止になった繁華街の跡地である。周囲には枠組みが剥き出しになった建物と錆びた機材しかないが、埃っぽいが広さがあり、何も予定のない休日に、2機でボードゲームをするのに使った場所でもあった。
エリータ1から話を聞いて、D-16が反射的に思い出したのがこの場所だった。移住区からも駅からも離れているが徒歩で来れない距離ではなく、隠れるにはぴったりで、横になれる場所もある。いくらオライオンの行動範囲が広いとはいえ、ウイルスを読み取りさせられた後で電車の上に飛び乗ったりタワーの上から飛び降りたりはしないはずだ。
——そうした行動をさせるウイルスならともかく。
嫌な想像を振り払い、崩れたばかりの坑道に入る時のように、D-16はおそるおそる資材置き場の中に踏み入った。隙間から入り込むわずかな光を頼りに赤と青の機体を探す。コグ有ならば誰もが持っている暗視装置を、この時ほど羨ましく思ったことはない。
資材を避けるために下ばかりを見ていたD-16だが、わずかな音を彼の聴覚センサが捉えた。
「……パックス?」
D-16は顔を上げた。
「いるのか? パックス」
問いかけに答えはない。だが、棚から突き出た溝形鋼を機体を屈めて避け、その奥を覗き込んだD-16は、視覚センサが捉えたものにギョッとした。
「パックス!」
奥の棚からだらんと垂れた青と銀のアームは、見間違えるはずがない。確かにオライオンパックスのものだった。
「パックス!」
「……D?」
声を顰めることも資材を避けることも忘れ、ガンガンと音を立ててて駆け寄れば、棚の上から小さな声が聞こえてくる。
「おまえ、なんで……」
ボットらしくない切れ切れの、ケーブルが外れかけたような声にD-16は顔を歪めた。
「エリータ1から事情は聞いてる。もしパックスがどこにいるか知っているなら、ドクターのところまで連れて行って欲しいって言われてな。この区画のドクターはコグ無しでも話を聞いてくれる機体らしいから、安心して良いぞ。エリータ1のお墨付きだ」
自然と口数が多くなる。頭の上、手を伸ばせばかろうじて届く距離にぶら下がった手を取って、オライオンの機体を背負ってドクターのところへ連れて行ってくれ。と言われたならすぐにそうしただろう。だが、オライオンはそっと己の手を棚の上に引き上げた。
「そりゃ、ありがたいけど、今は無理だ」
「なんで」
「ウイルスのせいで、俺の頭の中の通信機がいかれてる」
自嘲混じりの声だった。
「今ここから出たら、なんでもかんでも受信して、今度こそ発狂するだろうな。幸いアンチウイルス機能が働いてて、ここに逃げ込んだ時よりはマシになったけど。ああ、それ以上近づかないでくれよ、D。たとえお前が今、通信機を使っていなかったとしても、万が一がある。俺の中身を見られたいわけじゃないし、お前の中身を暴きたいわけでもないんだ」
D-16は、オライオンの言葉に己の機体が急激に熱を持つのを感じていた。
それは怒りによるものだった。
マトリクスにより生成されるボット達の性行為は、生殖機能を持つ外星生物や有機生物とは根本的に異なっている。もちろんそうした機能を後付けパーツとして持つ機体もいるが、彼らの性行為は、基本的にお互いの通信能力を使った情報の伝達と増幅を意味していた。
——相手が好きだ。愛おしい。触れられて嬉しい。気持ちが良い。
お互いの権限を預け合い、感情と感覚を即座に伝達し合うことで、合わせ鏡のようにその恋を、あるいは愛を増幅し合うのだ。
D-16に性行為の経験はないが、それらはお互いの同意があって初めて可能になる行為だとは分かっていた。けれど同時に、一部の機体がその行為を踏み躙り、相手をただの感情の増幅器として見ない者もいると知っていた。
己の欲を、相手を踏み躙る快感を、興奮を、違法なウイルスでこじ開け切断することも封じた相手の通信機に流し込んで増幅させ、相手から伝わる恐怖さえねじ伏せ上書きし、ただ快楽のための送受信機としてしまう。
ただの道具としてしまう。
そのウイルスが、今、オライオンを蝕んでいる。
「D」
「なんだ?」
小さな声にハッとした。ブレインを焼き尽くすような怒りで機体温度が上がり、反応に3秒ほどのラグがある。これではいけないと大きく排気して、D-16は出来る限り穏やかな声を出した。
「何か用か? 冷却器か何かがいるなら持ってくるし、ここから出ていった方が良いならそうするが」
「いや、いい。それよりも……」
ゆっくりと、躊躇うように、頭の上に降りてきたのはオライオンの青い指先だ。
「手を貸してくれないか?」
「手を?」
「ああ、何か刺激があった方が、気がまぎれる」
D-16は顔を上げた。棚の上にいるらしいオライオンの顔は見えない。わずかな躊躇いの後、手を伸ばした。触れた途端に青い指先が怯えるように跳ねたが、逃げることはなく、D-16の指にオライオンの指がからまった。
「少し、このままでいてくれ」
指先は機体の中でも特にセンサが集まっている場所だ。D-16はオライオンの指先の熱さに驚いたが、触れた指を離すことはしなかった。
頭上からオライオンの声が降ってくる。
「エリータ1は、大丈夫だったか?」
「ああ、俺に会うまでずっとお前のこと探してたくらいにはな。ウイルスを仕込んだモジュールはお前が持って逃げた1つだけだったらしい。お前がモジュールを付けた後に大袈裟に呻いて逃げたから、ついでに相手を撒けたと言ってたよ」
「それならよかった」
安心した声だ。D-16はわざと呆れたように排気をこぼした。
「お前、エリータ1からモジュールを奪った後、ご丁寧に相手の目の前でモジュールを付けたらしいな。わざわざウイルスに感染するような真似はしないで、手を滑らせた振りして落として壊したら良かっただろ」
「そう簡単にはいかないさ。ただ落としただけで壊れるようなものでもなかったし、もしワザとやったとバレたらどうなるか。俺だけならともかく、狙われたのはエリータ1だ。バカの振りしてモジュールを奪って、ウイルスのせいで動作が狂ったと思わせた方が良い」
苦笑混じりの声は、やはり切れ切れで聞き取り辛い。しかしD-16は打てば響くような早さでオライオンに言った。
「お前な、そういうことはやめろ。バカの振りとはいうが嘘でも振りでもどんな理由があったとしても、バカと同じ行動をしてれば最後には本当にバカになるぞ」
「気をつけるさ」
「約束しろ」
「ああ、約束だ」
嘘じゃないと言うように、オライオンの指先に力がこもる。
「それでも俺が間違えた時は、D、お前が止めてくれ」
「わかった。だが、一方通行はなしだ。お前も俺が間違えた時には止めてくれよ」
「わかってるさ」
D-16はオライオンに応えるように、己も同じだけの力を指先にこめた。もしもオライオンがウイルスなんかに感染していなければ、いつものように拳を突き合わせていただろう。金属同士がぶつかる気持ちの良い音がしたはずだ。だが、今はこの手を離さないことがお互いの約束の証明だった。
そのままポツポツと話を続けていれば、急にオライオンのレスポンスが遅くなった。
「パックス?」
「ん? ああ。気にしないでくれ。少しアンチウイルス機能が、活発になっただけだ」
訝しんだD-16が問いかければ、そんな答えが返ってくる。オライオンの指先の力が緩み、D-16の存在を確かめるように、もう一度力が込められた。
「すまない、D」
「どうした?」
青い指先が震えていた。D-16は彼の震えを止めるように、オライオンの手を握り直した。
「いや、処理が、多くて……」
オライオンがもう一度謝罪を繰り返した。
「すまない、D。もうすぐ、パワーダウン、し……っ!」
「パックス?」
D-16は反射的にオライオンの名を呼んだ。一瞬、強い電流を流されたように跳ねた手が、がくりと力を失いD-16の声にも反応しない。
「パックス!」
D-16は近づくなという忠告も忘れて棚に手をかけた。コグ有が使うことを想定された棚だが、登ることは容易い。すぐにオライオンが横になった場所に辿り着き、D-16は近寄っても目を開かない機体に、そっと片手を伸ばした。
「パックス……」
どうやらオライオンの申告通り、アンチウイルス機能が働き続けたおかげでエネルギーが切れパワーダウンしたようだ。
D-16はひとつ大きく排気すると、オライオンを踏まないよう注意して棚の上に乗り、その機体を背負った。
ドクターのところへ連れて行くためだ。
エネルギー切れを起こした機体は重い。それでもD-16は一度も立ち止まることなくエリータ1から聞いた場所へ、オライオンを背負ったまま走り続けた。
オライオンはいつもの騒がしさが嘘ようだったが、けれど彼のスパークは熱さを残したまま動き続けていたので、D-16は寂しくなかった。
寂しくなかったのだ。
「D」
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2024.11.28 00:43
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「D-16」
名前を呼ばれ、D-16は足を止めた。振り返ればエリータ1が立っている。彼は少々驚きながら、その機体を壁に寄せた。小さなベッドの並ぶコグ無しの居住エリアに向かう廊下であれば、2機がすれ違うのにやっとの広さしかなかったからだ。
「やあエリータ1。何か用でも?」
D-16は努めて明るく彼女に呼びかけた。D-16がエネルゴン採掘区画で働き始めてからまだ夜は20回程しか巡ってきていない。新入りの札が取れない身で、チームリーダーをも任される機体に話しかけられれば、何かヘマをしたかと恐ろしくなる。
しかしエリータ1の口から出て来たのは、思いもよらない名前だった。
「あなた、オライオンパックスを見なかった?」
「パックスを?」
D-16は表情を取り繕うのも忘れて聞き返した。オライオンパックスはD-16と同時期にこの区画へ送られて来た『問題児』だ。仕事はそつなくこなすものの、規則破りの常習犯で、納得のいかないことがあればコグ有にも喧嘩を売るし、立ち入り禁止エリアにも忍び込む。
本来あまり近づきたくないタイプだが、不思議とD-16とオライオンは馬があった。出会ってからのこの短い間にも、彼の問題行動を庇い、隠し、一緒に怒られてやったこともある。
今日はシフトの関係で別行動だったが、またあいつが問題を起こしたのか。と顔を顰めれば、D-16の表情の意味するところを汲み取ったのか、エリータ1が「今回、彼に否はないわ」と首を横に振った。
「私は彼の問題行動に辟易してるけれど、否のない部分まで責めたり、ましてや私を庇ってしたことを『勝手にやったこと』だと突き放したりもしたくない」
「パックスが、エリータ1を庇った?」
「ええそう。助かったわ。腹が立つことにね」
エリータ1は腕を組んで頷いた。そして素早く周りを見回すと、声を顰めてD-16に告げた。
「エネルゴン精製所で、輸送管理を担ってるコグ有2機の疑惑は知ってる?」
「あ、ああ。噂くらいは」
ほんの少しだけ身を屈めてD-16は頷いた。
ボット達を含めたアイアコンシティ全てのエネルギー源はエネルゴンだ。13プライムを失いマトリクスが行方不明になった後、湧き出なくなったエネルゴンはセンチネルプライムの指揮の下、厳重に管理されている。しかしコグ無しが採掘し精製したそれが、流通の要であるアイアコンシティの中央区に送られるまでに盗まれているという噂があった。その首謀者とされているのが、件の輸送管理を行っているコグ有り2機だ。
「ノルマからすれば誤差で収まる範囲だけれど、長期間続けば噂にもなるわ。おまけに1度、その疑いを輸送列車の積み下ろしを担当していたコグ無しになすりつけている」
D-16はわずかに目を見開いた。マトリクスが失われたことにより生まれ始めたらしいコグ無しが、一部の螺子が緩んだコグ有りからどのような扱いを受けているか、彼は身をもって知っている。
「その2機がパックスに何を?」
「パックスじゃないわ。狙われたのは私」
落ち着きなさい。と言うように、エリータ1がD-16の肩を叩いた。カン。と金属同士がぶつかる軽い音が、狭い廊下で反射した。
「でも、安心できないのは確かね」
「何が……」
「ウイルスよ」
ため息と共に吐き出された言葉に、D-16の顔が歪んだ。
「ウイルス汚染されたモジュールを、管理者権限で読み取りさせられたの。多分、そう。いわゆる『気持ち良くなれる』ウイルスを、ね」
ボット達が稼働を止めないために、注意を払わなければならないものはアイアコン5000でドクター達に苦言を呈されるトランスフォーマー達以上に存在し、その脅威度も都度更新されている。
その中でも特に身近なもののひとつがウイルスだ。プロセッサに侵入し、様々な悪事を働き増殖する。脅威度は種類によって様々で、ボット達が生まれながらに持つアンチウイルス機能やセキュリティ機構で即座にブロック・デリートされるものもあれば、クインテッサにより作られたとも言われている、プロセッサのコアを止めるようなものもある。
とはいえほとんどのウイルスには対策が取られており、スパークにまで影響を及ぼすものも発見されていない。しかし毎サイクルのように新しいウイルスが登場する。ボット達、それもトランスフォーマーの機能に詳しいコグ有り達が、ウイルスを作り出しているからだ。
「パックス?」
もう何サイクルも整理整頓されていないだろう資材置き場の奥へ、D-16は慎重に呼びかけた。ここはオライオンがこの区画にやって来てすぐに見つけ、彼がジャンク屋から手に入れた記録媒体や投影装置を隠しておくのに使っている場所だ。元々は地盤沈下の恐れがあることが判明し、開発が中止になった繁華街の跡地である。周囲には枠組みが剥き出しになった建物と錆びた機材しかないが、埃っぽいが広さがあり、何も予定のない休日に、2機でボードゲームをするのに使った場所でもあった。
エリータ1から話を聞いて、D-16が反射的に思い出したのがこの場所だった。移住区からも駅からも離れているが徒歩で来れない距離ではなく、隠れるにはぴったりで、横になれる場所もある。いくらオライオンの行動範囲が広いとはいえ、ウイルスを読み取りさせられた後で電車の上に飛び乗ったりタワーの上から飛び降りたりはしないはずだ。
——そうした行動をさせるウイルスならともかく。
嫌な想像を振り払い、崩れたばかりの坑道に入る時のように、D-16はおそるおそる資材置き場の中に踏み入った。隙間から入り込むわずかな光を頼りに赤と青の機体を探す。コグ有ならば誰もが持っている暗視装置を、この時ほど羨ましく思ったことはない。
資材を避けるために下ばかりを見ていたD-16だが、わずかな音を彼の聴覚センサが捉えた。
「……パックス?」
D-16は顔を上げた。
「いるのか? パックス」
問いかけに答えはない。だが、棚から突き出た溝形鋼を機体を屈めて避け、その奥を覗き込んだD-16は、視覚センサが捉えたものにギョッとした。
「パックス!」
奥の棚からだらんと垂れた青と銀のアームは、見間違えるはずがない。確かにオライオンパックスのものだった。
「パックス!」
「……D?」
声を顰めることも資材を避けることも忘れ、ガンガンと音を立ててて駆け寄れば、棚の上から小さな声が聞こえてくる。
「おまえ、なんで……」
ボットらしくない切れ切れの、ケーブルが外れかけたような声にD-16は顔を歪めた。
「エリータ1から事情は聞いてる。もしパックスがどこにいるか知っているなら、ドクターのところまで連れて行って欲しいって言われてな。この区画のドクターはコグ無しでも話を聞いてくれる機体らしいから、安心して良いぞ。エリータ1のお墨付きだ」
自然と口数が多くなる。頭の上、手を伸ばせばかろうじて届く距離にぶら下がった手を取って、オライオンの機体を背負ってドクターのところへ連れて行ってくれ。と言われたならすぐにそうしただろう。だが、オライオンはそっと己の手を棚の上に引き上げた。
「そりゃ、ありがたいけど、今は無理だ」
「なんで」
「ウイルスのせいで、俺の頭の中の通信機がいかれてる」
自嘲混じりの声だった。
「今ここから出たら、なんでもかんでも受信して、今度こそ発狂するだろうな。幸いアンチウイルス機能が働いてて、ここに逃げ込んだ時よりはマシになったけど。ああ、それ以上近づかないでくれよ、D。たとえお前が今、通信機を使っていなかったとしても、万が一がある。俺の中身を見られたいわけじゃないし、お前の中身を暴きたいわけでもないんだ」
D-16は、オライオンの言葉に己の機体が急激に熱を持つのを感じていた。
それは怒りによるものだった。
マトリクスにより生成されるボット達の性行為は、生殖機能を持つ外星生物や有機生物とは根本的に異なっている。もちろんそうした機能を後付けパーツとして持つ機体もいるが、彼らの性行為は、基本的にお互いの通信能力を使った情報の伝達と増幅を意味していた。
——相手が好きだ。愛おしい。触れられて嬉しい。気持ちが良い。
お互いの権限を預け合い、感情と感覚を即座に伝達し合うことで、合わせ鏡のようにその恋を、あるいは愛を増幅し合うのだ。
D-16に性行為の経験はないが、それらはお互いの同意があって初めて可能になる行為だとは分かっていた。けれど同時に、一部の機体がその行為を踏み躙り、相手をただの感情の増幅器として見ない者もいると知っていた。
己の欲を、相手を踏み躙る快感を、興奮を、違法なウイルスでこじ開け切断することも封じた相手の通信機に流し込んで増幅させ、相手から伝わる恐怖さえねじ伏せ上書きし、ただ快楽のための送受信機としてしまう。
ただの道具としてしまう。
そのウイルスが、今、オライオンを蝕んでいる。
「D」
「なんだ?」
小さな声にハッとした。ブレインを焼き尽くすような怒りで機体温度が上がり、反応に3秒ほどのラグがある。これではいけないと大きく排気して、D-16は出来る限り穏やかな声を出した。
「何か用か? 冷却器か何かがいるなら持ってくるし、ここから出ていった方が良いならそうするが」
「いや、いい。それよりも……」
ゆっくりと、躊躇うように、頭の上に降りてきたのはオライオンの青い指先だ。
「手を貸してくれないか?」
「手を?」
「ああ、何か刺激があった方が、気がまぎれる」
D-16は顔を上げた。棚の上にいるらしいオライオンの顔は見えない。わずかな躊躇いの後、手を伸ばした。触れた途端に青い指先が怯えるように跳ねたが、逃げることはなく、D-16の指にオライオンの指がからまった。
「少し、このままでいてくれ」
指先は機体の中でも特にセンサが集まっている場所だ。D-16はオライオンの指先の熱さに驚いたが、触れた指を離すことはしなかった。
頭上からオライオンの声が降ってくる。
「エリータ1は、大丈夫だったか?」
「ああ、俺に会うまでずっとお前のこと探してたくらいにはな。ウイルスを仕込んだモジュールはお前が持って逃げた1つだけだったらしい。お前がモジュールを付けた後に大袈裟に呻いて逃げたから、ついでに相手を撒けたと言ってたよ」
「それならよかった」
安心した声だ。D-16はわざと呆れたように排気をこぼした。
「お前、エリータ1からモジュールを奪った後、ご丁寧に相手の目の前でモジュールを付けたらしいな。わざわざウイルスに感染するような真似はしないで、手を滑らせた振りして落として壊したら良かっただろ」
「そう簡単にはいかないさ。ただ落としただけで壊れるようなものでもなかったし、もしワザとやったとバレたらどうなるか。俺だけならともかく、狙われたのはエリータ1だ。バカの振りしてモジュールを奪って、ウイルスのせいで動作が狂ったと思わせた方が良い」
苦笑混じりの声は、やはり切れ切れで聞き取り辛い。しかしD-16は打てば響くような早さでオライオンに言った。
「お前な、そういうことはやめろ。バカの振りとはいうが嘘でも振りでもどんな理由があったとしても、バカと同じ行動をしてれば最後には本当にバカになるぞ」
「気をつけるさ」
「約束しろ」
「ああ、約束だ」
嘘じゃないと言うように、オライオンの指先に力がこもる。
「それでも俺が間違えた時は、D、お前が止めてくれ」
「わかった。だが、一方通行はなしだ。お前も俺が間違えた時には止めてくれよ」
「わかってるさ」
D-16はオライオンに応えるように、己も同じだけの力を指先にこめた。もしもオライオンがウイルスなんかに感染していなければ、いつものように拳を突き合わせていただろう。金属同士がぶつかる気持ちの良い音がしたはずだ。だが、今はこの手を離さないことがお互いの約束の証明だった。
そのままポツポツと話を続けていれば、急にオライオンのレスポンスが遅くなった。
「パックス?」
「ん? ああ。気にしないでくれ。少しアンチウイルス機能が、活発になっただけだ」
訝しんだD-16が問いかければ、そんな答えが返ってくる。オライオンの指先の力が緩み、D-16の存在を確かめるように、もう一度力が込められた。
「すまない、D」
「どうした?」
青い指先が震えていた。D-16は彼の震えを止めるように、オライオンの手を握り直した。
「いや、処理が、多くて……」
オライオンがもう一度謝罪を繰り返した。
「すまない、D。もうすぐ、パワーダウン、し……っ!」
「パックス?」
D-16は反射的にオライオンの名を呼んだ。一瞬、強い電流を流されたように跳ねた手が、がくりと力を失いD-16の声にも反応しない。
「パックス!」
D-16は近づくなという忠告も忘れて棚に手をかけた。コグ有が使うことを想定された棚だが、登ることは容易い。すぐにオライオンが横になった場所に辿り着き、D-16は近寄っても目を開かない機体に、そっと片手を伸ばした。
「パックス……」
どうやらオライオンの申告通り、アンチウイルス機能が働き続けたおかげでエネルギーが切れパワーダウンしたようだ。
D-16はひとつ大きく排気すると、オライオンを踏まないよう注意して棚の上に乗り、その機体を背負った。
ドクターのところへ連れて行くためだ。
エネルギー切れを起こした機体は重い。それでもD-16は一度も立ち止まることなくエリータ1から聞いた場所へ、オライオンを背負ったまま走り続けた。
オライオンはいつもの騒がしさが嘘ようだったが、けれど彼のスパークは熱さを残したまま動き続けていたので、D-16は寂しくなかった。
寂しくなかったのだ。
「D」▲たたむ